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第180話(2017年6月)無上

耕平さんブログ

皆さん、こんにちは。紫陽花のきれいな季節になりました。でも、関節炎や神経痛が出やすいのが梅雨時。くれぐれもご自愛ください。

今年のかわら版は、日常会話の中に浸透している仏教用語についてお伝えしています。

日常の言葉の中に仏教用語がたくさん定着しているのには驚きます。

五三八年に大陸から日本に伝わって以来、神仏習合、神仏混交の中で、生活や日常の中に深く根づいていった仏教。仏教用語が定着しているのも、もっともなことです。

多くの仏教用語を知ることを通じて、お釈迦様の教えを知り、心穏やかに過ごせることは無上の喜びです。と表現したこの「無上」も仏教用語です。

あまり深い意味のなさそうな漢字の組み合わせですが、「上」が「無」いのですから、最高ということでしょうか。実は、最高という意味は誤った使われ方です。

サンスクリット語の「アヌッタラ」の漢訳が「無上」。音写では「阿耨多羅(あのくらた)」。般若心経でもこのくだりは音写でしたね。

「ア」を除いた「ヌッタラ」は「より高い」「より上」という他者との比較を意味しますそれを「ア」という冠詞で否定しているのが「アヌッタラ」「阿耨多羅」「無上」です。

他者と比較することを否定しているのですから、「無上」は最高の喜びではなく、上とか下ではなく、比較できない真実に接した感動を「無上」の喜びと言います。

「お釈迦様の教えを知り、心穏やかに過ごせることは無上の喜びです」という表現は、仏教的には正しいと言えます。何しろ、お釈迦様の教えは真実の教えですから。

仏教は生きるための哲学です。自分の考えや欲に執着することなく、自分と他人を比較したり、分別することなく、まわりの出来事をありのまま受け入れること。そういう姿勢が「無上」であり、「真実」。その「真実」も仏教用語です。

「真実」とはお釈迦様の教えそのもの、覚った後の存在をひと言で表している「如来」と同じことを表す言葉です。

ひとりでも多くの人が自分自身を見つめ、真実を見つめ、「空」「無常」「無我」の仏教の教え、般若心経の真髄を知ることは素晴らしいことです。

ひとりでも多くの人が自らの内面にある仏心に触れ、平和で穏やかな人間関係や社会を実現していきたいものです。合掌。


大塚耕平

  • 2002年から「弘法さんかわら版」を書き続けています。仏教に親しみ、仏教から学び、仏教を探訪しています。より良い社会を目指すうえで仏教の教えは大切です。「弘法さんかわら版」は覚王山日泰寺(名古屋市千種区)と弘法山遍照院(知立市)の弘法さんの縁日にお配りしています。縁日はお大師様の月命日に立ちます。覚王山は新暦の21日、知立は旧暦の21日です。
  • 著書に「お大師様の生涯と覚王山」(大法輪閣)、「仏教通史」(大法輪閣)など。全国先達会、東日本先達会、愛知県先達会、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念イベント(室戸市)、中日文化センターなどで講演をさせていただいています。毎年12月23日には覚王山で「弘法さんを語る会」を開催。ご要望があれば、全国どこでも喜んでお伺いします。
  • 1959年愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院博士課程修了(学術博士、専門はマクロ経済学)。日本銀行を経て、2001年から参議院議員。元内閣府副大臣、元厚生労働副大臣。現在、早稲田大学総合研究機構客員教授(2006年~)、藤田保健衛生大学医学部客員教授(2016年~)を兼務しています。元中央大学大学院公共政策研究科客員教授(2005年~17年)。