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第215話 仏教用語 (邪魔、平常心)

耕平さんブログ

皆さん、こんにちは。緊急事態宣言は解除されましたが、まだまだ油断できません。ご不自由なことと思いますが、引き続きくれぐれもご自愛ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

新型コロナウィルス感染症の影響で外出自粛が続く中、なかなか友人、知人の家を訪問するのも遠慮がちの今日この頃です。訪問先で「お邪魔します」という挨拶をすることがあると思いますが、この「邪魔」も仏教用語です。

漢字から何となく仏教用語的な印象がありますね。本来「邪魔」という仏教用語は、文字どおりお釈迦さまの修行を妨げる「邪(よこしま)な悪魔」を意味します。

「魔」はサンスクリット語の「マーラ」という魔神のこと。お釈迦様が覚(悟)りに至るべく瞑想をしていると、マーラが妨害します。女の人を送り込んで誘惑したり、天から岩を降らせて驚かせたり、怪物に襲わせて恐れさせたり、あの手この手で瞑想を妨げます。しかし、お釈迦さまはマーラに打ち勝って、めでたく覚(悟)りに至ります。

お釈迦様が戦ったマーラ、つまり「邪(よこしま)な悪魔」は、自分自身の中に沸き起こる煩悩や恐怖心です。

日常生活で私たちが「邪魔だなぁ」と感じること、それは自分の外側から生じていることではなく、自分の内側、つまり自分の心の中で生じている思いの結果です。

では、その煩悩や恐怖心は何から生じるのか。それは「あれがしたい」「これがしたい」「あれがほしい」「これがほしい」と思う「欲」の為せる業(わざ)。マーラが岩や怪物を登場させたのも、「生きたい」「死にたくない」という「欲」から恐怖心を生み出すためです。

東京オリンピックは延期になりましたが、アスリートの皆さんには来年に向けて頑張ってもらいたいですね。そのアスリートの皆さん、テレビなどでインタニューのマイクを向けられ「無欲で臨みます」「平常心で戦います」と答える姿を時々見ます。

この「平常心」も仏教用語です。仏教用語的には「びょうじょうしん」と読みます。

日常会話では「普段どおり」「力まない」「緊張しない」というような意味で使いますが、仏教用語の「平常心」は「善悪を区別しない」「こだわりのない」心を指します。「勝つことが善い」「勝ちが全て」と思い込まない心、「勝利にこだわらない」「勝利に囚われない」心が「平常心」です。「欲」に囚われない心が「平常心」であり、まさしく「無欲」です。

世界が自分ひとりであれば、比較するものがないわけですから、欲も、欲が生み出す対立や争いもありません。しかし、他者が存在することは、欲、対立、争いの始まりです。そういう意味で、欲の塊である他の人間がやってきて、「お邪魔します」と相手に告げる挨拶はなかなか奥深いですねぇ。

物や人に対して「邪魔だなぁ」と思うのは、自分の心が「邪(よこしま)な悪魔」つまり「煩悩」や「欲」に支配されている証(あかし)です。そのことを理解すると、気持ちや言葉づかいも穏やかになりますね。

ではまた来月、ごきげんよう。

(2020年5月)


大塚耕平

  • 2002年から「弘法さんかわら版」を書き続けています。仏教に親しみ、仏教から学び、仏教を探訪しています。より良い社会を目指すうえで仏教の教えは大切です。「弘法さんかわら版」は覚王山日泰寺(名古屋市千種区)と弘法山遍照院(知立市)の弘法さんの縁日にお配りしています。縁日はお大師様の月命日に立ちます。覚王山は新暦の21日、知立は旧暦の21日です。
  • 著書に「お大師様の生涯と覚王山」(大法輪閣)、「仏教通史」(大法輪閣)など。全国先達会、東日本先達会、愛知県先達会、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念イベント(室戸市)、中日文化センターなどで講演をさせていただいています。毎年12月23日には覚王山で「弘法さんを語る会」を開催。ご要望があれば、全国どこでも喜んでお伺いします。
  • 1959年愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院博士課程修了(学術博士、専門はマクロ経済学)。日本銀行を経て、2001年から参議院議員。元内閣府副大臣、元厚生労働副大臣。現在、早稲田大学総合研究機構客員教授(2006年~)、藤田医科大学医学部客員教授(2016年~)を兼務しています。元中央大学大学院公共政策研究科客員教授(2005年~17年)。