弘法さんブログ

第188話(2018年2月)

皆さん、こんにちは。立春も過ぎましたが、まだまだ寒い日が続きます。くれぐれも ご自愛ください。

昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は内海に向 かいます。

★もくれん寺

四十三番岩屋寺から山海に戻る途中、右折して北上すること約四・五キロメートル。 四十四番は菅生山大宝寺です。

お大師様が知多半島を巡錫した道中、修行場にした「硯水大師霊場」の場所とも伝わ ります。

本堂前の湧水は、お大師様のお告げどおり、一七五一年に湧き出したと言われていま す。

境内では、三月から四月にかけて多くの木蓮の花が咲き誇ることから、「もくれん 寺」と呼ばれてお遍路さんに親しまれています。

ご本尊 釈迦如来
ご詠歌 この山に 仏のくどく あらわれて 湧き出る水は 甘露にもます

★だるま弘法

内海に向かって西進し、国道二四七号線に出て左折。大宝寺から約二・〇キロメート ルにあるのが四十五番、尾風山泉蔵院。

お大師様が知多半島を巡錫した折の霊跡に建てられた泉蔵坊。室町時代に地元の国衆 一色氏の居城、内海城の城内に移築されました。

やがて一色氏は家老の佐治氏に追われ、内海城は廃城。泉蔵坊はその廃城跡を寺域と し、泉蔵院に改称しました。ご本尊は行基作と伝わる同座の阿弥陀如来と薬師如来で す。

泉蔵院は祈願成就のだるまで知られており、通称「だるま弘法」と呼ばれています。

ご本尊 阿弥陀如来 薬師如来
ご詠歌 弥陀薬師 名はいろいろに異なれど とうきふやくの 慈眼とぞ知れ

★円空作薬師如来立像

国道二四七号線を北上し、内海の集落の中に入り、四十五番から約〇・六キロメート ル歩くと、四十六番は井際山如意輪寺です。

奈良時代に行基によってこの地に創建された古刹、観福寺の一院がルーツ。観福寺は 往時には一山九院の隆盛を誇り、如意輪寺のみならず、四十五番も四十七番も観福寺 の一院でした。

観福寺は南北朝以降に荒廃しましたが、一五七四年に梅山和尚が中興開山となって再 興。

知多四国八十八ヶ所霊場が開創された翌年の一八二五年、如意輪寺には霊場会の本部 が置かれたそうです。

寺には円空作の秘仏、薬師如来立像が奉安されています。

ご本尊 如意輪観世音菩薩
ご詠歌 念ずれば 心の迷い 雲晴れて 真如の月は 常にかがやく

★山寺桜

如意輪寺から内海の集落内を通って名鉄知多新線を越えて約一・一キロメートル進む と、四十七番は井際山持宝院。

前述のとおり、このお寺もかつては古刹観福寺の一院。十四世紀末期の応仁年間に、 金尊上人が中興開山として復興しました。

かつては桜の名所として知られ、江戸時代末期の尾張国の地誌「尾張名所図会」に、 景勝地「山桜寺」として記されています。残念ながら、伊勢湾台風で多くの桜が倒木 したそうです。

山門に至る石段の脇には、お大師様が知多半島巡錫の折に加持祈祷したという「とど ろきの井戸」が残されています。

ご本尊 如意輪観世音菩薩
ご詠歌 花を見て 歌詠む人は 八坂寺 三仏浄土の 緑とこそ聞け

★源義朝・頼朝親子

来月は小野浦を経て野間に向かいます。源頼朝の父、源義朝最期の地として知られる 野間。乞ご期待。


第187話(2018年1月)

皆さん、明けましておめでとうございます。かわら版、今年もご愛顧のほど、よろし くお願い申し上げます。

昨年に続き、知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしていきます。

★お亀さん霊場

篠島から師崎に戻り、いよいよ知多半島西岸を北上。お遍路も後半に入ります。師崎 から約二・六キロメートル、番外札所の青泰山浄土寺に到着です。

明治四十二年、伊賀上野の谷村佐助という人が夢告に従って亀に慈悲を施したとこ ろ、病気が平癒。感謝して海に放した亀がこの地に漂着。

開山の亀岳鶴翁大和尚が霊亀出現の夢告を見た後であったため、この亀を龍亀大菩薩 として奉安。亀の甲羅には「奉大海龍大神、谷村佐助」と書かれていたそうです。お 亀さん霊場と呼ばれて親しまれています。

ご本尊 薬師如来
ご詠歌 波の音 みのりの声ぞ 小佐の? 浮かぶ心の 亀ぞまつれる

★御守腹帯

浄土寺から国道二四七号線を北上すること約三・八キロメートル、四十番は普門山影 向寺。

大師堂に祀られている子安大師像は、ご本尊の十一面観世音菩薩の神通力で現れたと 伝わります。安産、子育てに霊験があるとされ、大師像や経文を描いた御守腹帯のご 利益は有名で、遠隔地からの参拝客も多いそうです。

ご本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 中須をも 照らせる月の影向寺 彼岸浄土も さやかにぞ見る

★またたき弘法

さらに北上すること約二・五キロメートル、山海(やまみ)海岸に面して建つのは四 十一番、松原山西方寺。

流木で作られた山門、魚供養塔などがあり、海辺ならではの札所です。

当寺に祀られている大師像はまたたき弘法と呼ばれており、眼病平癒にご利益がある と親しまれています。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 皆人の 願う浄土は何処方ぞ月も傾く 西方の寺

★快慶作

山海交差点を東へ向かい、四十一番から約一・二キロメートル行くと四十二番、瑞岸 山天龍寺。

寺号の由来は、お大師様巡錫跡に立つ欅(けやき)の根元に湧く湧水が「龍泉」と呼 ばれていたためだそうですが、その湧水は昭和中期の災害で涸れたそうです。

ご本尊の阿弥陀如来は鎌倉時代の仏師、快慶作と伝わります。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 み佛の あらはれならむ天龍寺 小野の小田水 恵まれにけり

★尾張高野山

四十二番からさらに東に約〇・八キロメートル、四十三番は大慈山岩屋寺。

七一五年に元正天皇の勅願により行基菩薩が開創したと伝わる古刹。お大師様が二度 来山し、阿弥陀堂のご本尊は親鸞上人が奉安。

室町時代は大野城主佐治家、江戸時代は尾張徳川家の庇護を受けました。現在は尾張 高野山の総本山として多くの末寺を擁しているそうです。

ご本尊 千手観世音菩薩
ご詠歌 不思議とは 誰が口から岩屋でら 千手の誓い 利益あらたか

★身代大師総本山

岩屋寺の奥之院も番外札所。お大師様が八○八年に開創。知多四国霊場の中で唯一 の参籠の行場です。

お大師様がこの地の岩窟で護摩修法された際、「病気災難等の身代わりに立ちつかわ さん」と仰せになったことから、身代大師総本山として信仰されています。

ご本尊 聖観世音菩薩
ご詠歌 名も高き み山の奥之院 ふだらくせんの 姿なるらん

★山寺桜

来月は再び山海に戻って北上、内海に向かいます。かつては桜の名所として知られ、 山寺桜とも言われた四十七番まで行きたいと思います。乞ご期待。


第186話(2017年12月)

皆さん、こんにちは。いよいよ師走になりました。年末でお忙しいでしょうが、くれ ぐれもご自愛ください。

今年のかわら版は知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は三十五 番からスタートです。

★修行大師像

三十四番から大井漁港前を通って南に約二・六キロメートル。三十五番は神光山成願 寺。

お大師様が聖崎に上陸した際、当地で疫病が流行。お大師様の加持祈祷によって救わ れた村人が修行大師像を祀って霊跡としたのが始まりです。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 慈悲深き 弥陀をと頼む成願寺 利益をうけよ 思ふまにまに

★御手引大師

三十五番から師崎に向かう道中、約一・八キロメートル進むと三十六番、天永山遍照 寺。

元々は三十番医王寺の塔頭寺院十二坊の一院。医王寺が火災に遭った後、ここに移っ て再興されました。

ご本尊に弁財天を祀る知多四国霊場唯一の札所。別堂にはお遍路さんの道中安全を願 う御手引大師が祀られています。

ご本尊 弁財天
ご詠歌 巡り来て 友待つ筈の遍照寺 いざや急がん 西浦の里

★大光古墳

いよいよ師崎から船で日間賀島に渡ります。東港から約〇・三キロメートル、西港か ら約一・七キロメートル、三十七番は魚養山大光院。

やはり医王寺の塔頭寺院でしたが、一二一二年、島に移転しました。

島には古墳が多く、境内には大光古墳があります。また、別堂の金毘羅大権現は海上 安全の守護神です。

ご本尊 大日如来
ご詠歌 心して 渡れば波も静かなり島にさやけき 大光の月

★龍門の梵鐘

続いて篠島に渡り、港から約〇・九キロメートル行くと三十八番、龍門山正法禅寺。

静岡県袋井市の名刹、可睡斎の直末寺。開山の鳳山仙麟大和尚は今川家から逃げた竹 千代(徳川家康)を七十日間匿ったという逸話が伝わります。

一六四五年、金銀銅鉄で鋳造された龍門の梵鐘には伊勢の銘が刻まれており、篠島が 伊勢神宮領だったことを偲ばせます。

ご本尊 釈迦牟尼仏
ご詠歌 御佛の 救世の船に棹さしてわたる篠島 正法の寺

★月山・篠山霊場

三十八番から集落の中の狭い道を約〇・三キロメートル行くと、番外札所の寂静山西 方寺。

武田信玄が作らせたと伝わる火度見善光寺如来が祀られています。

土佐国月灘村から伝わった元月山大勢至菩薩と、伊予国一本松村から伝わった元篠山 大権現十一面観世音菩薩が祀られていることから、別名、月山・篠山霊場とも呼ばれ ます。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 皆人の 願ふ浄土は何処方ぞ月もかたむく 西方の寺

★八十八長寿薬師

再び集落の中を約〇・三キロメートル、三十九番は金剛山医徳院。やはり医王寺の 塔頭寺院で、一二一二年に篠島に移設されました。

一四六〇年、当寺北方の海に不思議な光が見られ、漁師が網を入れてみると薬師如来 像が揚がりました。その像が奉安されたご本尊となって八十八(やそはち)長寿薬師 と呼ばれ、長寿利益があると信心を集めています。

一五八二年、本能寺の変の後、伊賀越えで三河に戻る途中に徳川家康が、当寺に一泊 しているそうです。

ご本尊 薬師如来
ご詠歌 生れ来て 一度はまいれ篠島の 帝の井戸に 医徳かがやく

★尾張高野山

来月は再び師崎に戻り、半島を北上開始します。尾張高野山と呼ばれる四十三番、岩 屋寺まで行きたいと思います。乞ご期待。


第185話(2017年11月)

皆さん、こんにちは。もう十一月。寒い日が増えました。くれぐれもご自愛くださ い。

今年のかわら版は知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は三十番 からスタートです。

★七日間の護摩修法

二十九番を出て集落の中を南へ。馬道交差点から県道七号線に出てさらに南下し、大 井西交差点を左折。まもなく大井漁港に出ます。大井の集落には三十番から三十四番 の札所が密集しています。二十九番から三十番、宝珠山医王寺までは約二・七キロ メートルです。

七二五年、行基菩薩が草案を結び、八一四年には三河から船でこの地に上陸したお大 師様が当寺に参篭。七日間の護摩修法を行い、開山。

往時は七堂伽藍十二坊を擁し、そのうち四つの塔頭(たっちゅう)寺院が隣接して今 日まで続いています。

知多四国霊場三開山のひとり、武田安兵衛行者の墓もあります。

ご本尊 薬師如来
ご詠歌 大井潟 救世の舟に棹さして 渡るも嬉し 法の医王寺

★赤門寺

三十番に隣接する三十一番、宝珠山利生院。医王寺の塔頭寺院のひとつ、東光庵とし て開創されました。

丹塗りの門のため、通称「赤門寺」。毎年一月二十八日の初不動では息災護摩供が行 われます。小さな木札の「弘法さまの一年守り」はご利益があるとして人気です。

ご本尊 不動明王
ご詠歌 阿字の原 絶なく八つの風吹けど 利生のちかひ 不動盤石

★金毘羅大権現護摩供

三十一番に隣接するのが三十二番、宝珠山宝乗院。やはり医王寺の塔頭寺院、宝泉坊 が基となっています。

旧暦十月十日の金毘羅大権現護摩供の縁日は二百年以上続いているそうです。金毘羅 大権現は海の守り神であり、古くから漁師の篤い信仰を集めています。

ご本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 宝珠の峯に たなびく白雲は 我が身をのせて 花の浄土へ

★明星井

やはり三十二番に隣接する三十三番、宝珠山北室院。同じく塔頭寺院、浄光坊として 開創しました。

山門左手にあるのがお大師様縁の「明星井」。江戸時代に刊行された「尾張名所図 会」にも紹介されています。

当院は、聖崎の「上陸大師」の納経所にもなっています。

ご本尊 聖観世音菩薩
ご詠歌 東西南と 心迷へど 詣る浄土は 北室の寺

★福寿稲荷大明神

さらに三十三番に隣接する三十四番、宝珠山性慶院。塔頭寺院・円蔵坊として開創さ れました。

本堂左手には福寿稲荷大明神が祀られています。堂の前には左右三体ずつの「おきつ ねさま」。賭け事にご利益があると信じられ、参拝者が「おきつねさま」の石片を持 ち帰るため、ところどころ欠けています。

ご本尊 青面金剛
ご詠歌 来てみれば 性慶院に花飾り 菩提の種を 結ぶうれしさ

★上陸大師

八一四年、お大師様が三河から船で渡って来て上陸したのが当地。聖崎という地名 もその史実に由来します。港の沖の岩礁には上陸大師の像が立っています。

★師崎・日間賀島・篠島

来月は上陸大師を横目にさらに南下。いよいよ師崎です。船に乗って日間賀島、篠島 に渡ります。乞ご期待。


第184話(2017年10月)

皆さん、こんにちは。秋本番、十月です。朝晩は肌寒い日が増えました。くれぐれもご自愛ください。

今年のかわら版は知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は二十七番からスタートです。

★恵等和尚

二十六番から南下。河和の交差点から西に折れ、南知多道路をくぐって集落の中に入ると二十七番、天竜山誓海寺。道中三・九キロメートルです。

戦国時代の一五五五年、現在地よりも海岸寄りの古布(こう)で開創されたと伝わります。 知多八十八ヶ所霊場開創の折、住職恵等和尚が発願者のひとりである岡戸半蔵に多大な協力をしたそうです。

戦争中の一九四四年、境内が海軍航空隊に徴用されたため、古布の村ごと現在地に移転。

愛染堂には、お大師様が三体彫ったと伝わる愛染明王のうちの一体を奉安。縁結びのご利益があると言われ、女性の信仰を集めています。

ご本尊 釈迦牟尼仏
ご詠歌 彼の岸に 渡らむ古布の誓海寺 波も静かに 法の風吹く

★岡戸半蔵行者

右記のような経緯から、誓海寺境内には知多四国八十八ヶ所霊場の三開山のひとり、岡戸半蔵行者を祀る禅林堂があります。

岡戸半蔵行者は一七五二年、福住村(現在の阿久比町)生まれ。妻子に先立たれ、供養のために発心して本四国を巡拝。

一八一九年、知多四国八十八ヶ所霊場開創を目指す亮山阿闍梨に出会い、武田安兵衛行者とともに大願成就に腐心。屋敷も田畑も売り払い、大師像等を寄進しました。 大願を果たした一八二四年、誓海寺で七十三歳の生涯を閉じました。

ご本尊 釈迦牟尼仏
ご詠歌 御仏の 恵みのままに 身を寄せて 心たのもし 禅林の堂

★ことぶき観音

二十七番から南下、南知多道路沿いに一般道を進むこと二・六キロメートル、山間にたたずむのは二十八番、浄光山永寿寺。

寺の縁起は十世紀初頭の八幡神社まで遡ります。

寺のある集落は、戦国時代の一五八二年、丹波福知山の落ち武者六人がこの地に住みつき、山を切り拓いて作ったことから切山(きりやま)と呼ばれていたそうです。

高さ二メートル(台座から三・五メートル)の聖観音像は「ことぶき観音」として親しまれ、参詣者の福寿無量を願っています。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 欲心を 只一筋に切山の 永寿の人は 弥陀の功徳ぞ

★千枚通しの護符

二十八番から丘陵地や竹林を抜けて二・八キロキロメートル南下。二十九番は大悲山正法寺。

正法寺は、一一六〇年、源義朝とともに野間で謀殺された家臣、鎌田兵衛正清の館跡に建っています。

一二三三年、正清供養のため、比叡山の徹円阿闍梨が護摩堂を建立し、正清の念持仏である毘沙門天を祀ったのが寺の縁起です。

正法寺では薄い和紙でできた「千枚通しの護符」が授けられ、水とともに飲むと病気平癒の霊験があると信じられています。

ご本尊 毘沙門天
ご詠歌 迷はずに 正しき法の道行かば 山田に残す 毘沙門の徳

★上陸大師

来月は大井漁港へ。お大師様が三河から船で渡ってきた地です。お大師様が護摩修法した医王寺をはじめ、五つの札所が密集しています。海上の岩場には上陸大師と呼ばれて親しまれる大師像が毅然と立っています。乞ご期待。


第183話(2017年9月)

皆さん、こんにちは。早いもので九月です。朝晩は肌寒い日もあります。くれぐれもご自愛ください。

今年のかわら版は知多八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は二十五番からスタートです。

★弘吉布袋

二十四番から名鉄河和線と国道二四七号線の間を南に二・七キロメートル、富貴駅北側の踏み切るを越えると二十五番、法輪山円観寺。

縁起は室町時代に遡りますが、現在の場所、山号・寺号になったのは一五七四年。

総欅(けやき)造りの護摩堂には、金毘羅大権現、不動明王、薬師如来が祀られ、毎月十日には護摩祈祷が行われます。

堂内には笑顔が印象的な弘吉布袋も鎮座しており、参拝客に親しまれています。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 円やかに 観給う弥陀の 慈眼には 富貴も貴賤も 別ちなからむ

★武田安兵衛行者

二十五番から名鉄河和線に沿ってさらに南下すること三・二キロメートル、開山所の達磨山葦航寺。

知多八十八ヶ所霊場の三開山のひとり、武田安兵衛行者を祀っています。讃岐生まれの安兵衛と、霊場の開基、亮山阿闍梨との出会いの経緯は二月号をホームページからご覧ください。

亮山阿闍梨、岡戸半蔵行者とともに知多八十八ヶ所霊場の開山に奔走。讃岐出身の安兵衛は本四国霊場の砂を集め、これを納めました。

開山の大業を達成した翌年の一八二五年、安兵衛は布土の十王堂で三十六歳の若さで亡くなりました。

ご本尊 釈迦牟尼仏
ご詠歌 一筋に 八十八と願立てて 布土の縁で なるぞはたせり

★安産の観音様(時志観音)

葦航寺から海沿いの国道二四七号線に出て南に二・三キロメートル。急な石段の上に海を見下ろして立つのは番外札所、慈雲山影現寺。

八二七年、佐久島の漁師の網に十一面観音像がかかり、島の草堂に祀っていると、堂守の夢に観音様が現れ「願わくは対岸の陸地に祀れ」との夢告。観音像から出た光明が指し示した先が当地だったと伝わります。

遷座した後はいつしか時志観音と呼ばれるようになり、草堂をもとに一五〇四年開山、一七一五年開創。

領内巡察中の尾張藩初代藩主、徳川義直が当寺で休息。由来に感服した義直は当寺を庇護。義直の安産祈願も叶えたことから、以後、安産の観音様として信仰されました。

ご本尊 釈迦牟尼仏
ご詠歌 時しらぬ 利益はいつも有明の 月の光の いたらぬはなし

★地獄絵図

時志観音から国道二四七号線をさらに一・四キロメートル南下。名鉄河和駅近くにあるのが二十六番、龍華山弥勒寺。

一五九六年に開創。一七五三年の火災で堂宇を焼失しましたが、後の住職、海嶺和尚や天佑和尚らの尽力で再興。今日に至っています。

釜茹で、血の池地獄などが描かれた寺宝「地獄絵図」は毎年春秋のお彼岸の一週間ご開帳され、多くの人が参拝に訪れます。

お庫裏さんは著名な画家と伺っています。お庫裏さんが描いた絵も年々蓄積されているそうです。

ご本尊 弥勒菩薩
ご詠歌 露の身も 今日は嬉しく北方の 弥勒寺尊の あかつきにある

★岡戸半蔵行者

さて、来月は二十七番から。三開山のひとり岡戸半蔵行者を祀る開山所が境内にあります。乞ご期待。


第182話(2017年8月)

皆さん、こんにちは。夏真っ盛りの八月、暑い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。 今年のかわら版は知多八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は二十番からスタートです。

★手足弘法

十九番から西に〇・七キロメートル、二十番は萬松山龍台院。

戦国時代の一五七三年、当地の土豪、吉田禎輔が堂宇を建立したのが始まりです。

弘法堂南に立つ萬松稲荷は元々横須賀町(現在の東海市)玉林斎にありましたが、住職の夢に神様が現れ「衆生済度のため龍台院に祀ってほしい」との夢告。明治三〇年に移されました。

弘法堂前に置かれている手足の木型で患部を摩ると治ると信じられ、手足弘法と呼ばれています。

ご本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 千歳ふる つるの林の 大悲閣 えんぶだごんの 光り輝く

★家康公縁(ゆかり)の寺

二十番から南下。知多半田駅を横目に名鉄河和線に沿って二・一キロメートル、二十一番は天龍山常楽寺。

二十番より約百年前の一四八四年、空観栄覚上人が応仁の乱の戦没者供養のために発願、開創しました。

八世典空上人の母は家康公母(於大の方)の妹、つまり上人は家康公の従兄弟。そのため、家康公は桶狭間の戦、本能寺の変、上洛時の三度に亘って当寺を参拝。家康公縁の寺であったことから、尾張藩初代藩主徳川義直の庇護を受けました。

毎年三月二五日には知多半島各地から宗門僧俗が集まり、法然上人を偲ぶ御忌会が行われます。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 常楽の 彼岸にやがて 到らまし 御名唱ふるは 報恩のため

★お八日(おはちにち)

二十一番からさらに三・七キロメートル南下。武豊平井畑交差点を左折すると、二十二番、御嶽山大日寺。

ご本尊大日如来は元々桓武天皇勅願寺の御嶽山光照院に祀られていましたが、戦乱で堂宇が焼失した際、難を逃れるために大日池に沈められました。約百年後、灌漑工事の際に発見され、大日寺に奉安されました。

旧暦一月二十八日は「お八日」と呼ばれる大日如来の縁日。現在では毎年三月第一日曜日に開かれています。

ご本尊 大日如来
ご詠歌 まんだら界 洽く照らす 御仏の 功徳長尾の 大日の寺

★ヒジリ(聖)田

二十二番から〇・五キロメートル。前田交差点を右折、前方右手に見えてくるのが二十三番、意龍山蓮華院。

応仁の乱の戦乱に苦しむ村を案じた修行僧が草庵を結んだのが始まり。僧は農耕指導も行い、村人から慕われ聖上人と呼ばれました。以来、この辺りの地名はヒジリ田となりました。

昭和四十五年に火災に遭い、以後、順次再建。現在の本堂は鮮やかな色彩が目を引きます。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 寺の名に 因む一連托生は み名を称ふる 口にこもれる

★義朝公供養

二十三番から一・六キロメートル。JR武豊駅を過ぎると左手に現れるのが二十四番、慶亀山徳正寺。

源義朝を討った長田忠致の末裔が、一五一三年、義朝公供養のために地蔵尊を祀ったのが始まりです。

ご本尊脇に安置されている十一面観世音菩薩は天平時代作の重要文化財。明治時代の廃仏棄釈の際、檀家が隠して守ったそうです。

ご本尊 大通智勝仏
ご詠歌 法の雨 降りかかる身の 徳正寺 道大足に 知らで行く人

★二十番台入り

さて、来月は三開山のひとり、武田安兵衛行者を祀る葦航寺にも立ち寄ります。乞ご期待。


第181話(2017年7月)

皆さん、こんにちは。いよいよ夏本番。暑い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。

今年のかわら版は知多八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は十七番を先に打ってから十六番に回ります。

★徳本と徳住

名鉄河和線を左手に眺めながら十五番から南下。二・二キロメートル進むと十七番、樫木山観音寺です。

この辺りは、阿久比川の支流、前田川流域の台地となっています。

開基は善随上人。二代は江戸時代の念仏聖として名高い徳本上人の弟子、徳住(入誉上人)。 独特の筆致で知られる徳本。境内の徳本と徳住の名号塔には、徳本の書による南無阿弥陀仏が彫られています。

毎年八月九日が縁日。この日参拝すると九万九千日お参りしたのと同じ功徳があると伝わります。

ご本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 御仏の 其身誓ひも高岡に 真如の月は 常に照せる

★慈覚大師

十七番から東へ〇・五キロメートル、十六番は鳳凰山平泉寺です。

八三〇年、淳和天皇の勅命で鳳凰を探しに来た慈覚大師が建立した古刹。ご本尊の尾張不動尊は慈覚大師作。国の指定文化財です。

一一九〇年、源頼朝が父義朝の墓参の帰路に参拝し、尾張不動尊に国家安穏を祈願したと伝わります。

境内の「オカラス大明神」は腰に効く「腰の神様」として慕われています。

ご本尊 尾張不動尊
ご詠歌 三毒を 洗ふて清き 平泉寺 不動の利生 いとも賢し

★蓮糸(れんし)の法衣

十六番からさらに東に三・七キロメートル、乙川の集落の中にあるのが番外札所、清涼山奥の院海蔵寺。

阿久比川が大きく蛇行する形が「乙」の字に似ていることから、地名が乙川になったと言われています。

二世住職の田翁和尚。その神通力で遠く離れた高野山の大火を見通し、庭に水を撒いて火を消し止め、高野山より「蓮糸の法衣」が贈られました。

ご本尊 釈迦牟尼仏
ご詠歌 奥の院 高野の山に変らねば 真心こめて 頼め諸人

★次郎長地蔵

番外海蔵寺から乙川集落内を南へ一・〇キロメートル進むと十八番、開運山光照寺です。

境内の観音堂建立時、寺格では二層の堂宇建築が許されなかったものの、時の尾張藩家老成瀬隼人が「庇(ひさし)を付ければ塔にあらず」との名裁定。晴れて今の姿となりました。

江戸時代末期、清水次郎長が半田亀崎で決闘する前に願掛けしたお地蔵様が観音堂の横に祀られています。

勝軍地蔵、次郎長地蔵と呼ばれ、信仰されています。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 乙川の 清き流れに俤を 写せば胸の 垢や落ちなん

★彫長(ほりちょう)と彫常(ほりつね)

十八番から南下し、JR武豊線、阿久比川、国道二四七号線を越えて一・九キロメートル、半田市街に入ると十九番、前明山光照院。

十八番が光照寺、十九番が光照院、寺と院が続きます。

明治十五年建立の玄関と明治四十年建立の弘法堂には、半田の山車の彫刻師、彫長と彫常の師弟が彫った龍と竜虎が飾られています。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 大慈悲の 光を照らす地蔵尊 救い給へよ 此の世后の世

★二十番台入り

さて、来月は名鉄河和線に沿って南下し、半田市から武豊町に入ります。札所も二十番台に入り、徳川家康公が三度参拝したと言われる二十一番、常楽寺にも行きます。乞ご期待。


第180話(2017年6月)

皆さん、こんにちは。梅雨の季節になりました。神経痛も気になります。くれぐれもご自愛ください。

今年のかわら版は知多八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は阿久比町の十四番札所からです。

★行者堂

十三番札所を出て阿久比川沿いに西に〇・五キロメートル進むと、十四番札所、円通山興昌寺です。

一五六〇年、桶狭間の戦いに敗れた今川勢の家臣、岡戸祢宜左衛門(ねぎざえもん)がこの地(福住)に残り、緒川(東浦町)の乾坤院から和尚を迎えて開山させたそうです。

山門の左にあるのは行者堂。知多四国霊場の三開山のひとり、岡戸半蔵の行者像を祀っています。美浜町の禅林寺にも半蔵の墓所とともに行者堂があります。

ご本尊 華厳釈迦牟尼仏
ご詠歌 法の風 福住わたる興昌寺 末の世までも 利益残せり

★菅原道真の孫 さらに西進して阿久比川と名鉄河和線を越え、坂部駅西側の集落の中にあるのが十五番札所、龍渓山洞雲院。十四番から一・四キロメートルです。

平安時代の九四八年創建の古刹。開基は菅原道真の孫、菅原雅規。道真が大宰府に配流され、一族も連座。雅規もこの地に流されました。

一時荒廃したものの、一四九三年、雅規の子孫、久松定益が再建。定益の子、定義が寺の近くに坂部城を築城。その子(定益の孫)俊勝に嫁いだのが徳川家康の母、於大の方。訳あって俊勝と再婚しました(後述)。

境内の杉木立の中に伝通院(於大の方)をはじめ、久松家、松平家の墓所があります。

ご本尊 如意輪観世音菩薩
ご詠歌 春の日は 梅が谷間に 輝きて 久松寺に 晴るる淡雲

★伝通院於大の方

於大の方は、戦国史に翻弄された一生を送りました。

一五二八年、緒川(東浦町)城主・水野忠政と妻・於富の間に誕生。

当時、隣接する三河で勢力を伸ばしていた松平清康(家康の祖父)の求めに応じ、忠政は於富を離縁し、清康に嫁がせました。その間に生まれたのが松平広忠(家康の父)。忠政は、水野氏と松平氏の関係強化のため、一五四一年、娘・於大も広忠に嫁がせました。そして一五四三年、岡崎城で広忠と於大の間に生まれたのが竹千代(家康)です。

同年、忠政が逝去。家督を継いだ於大の兄・信元は翌年、松平氏の主君・今川氏と絶縁して織田氏に臣従。

広忠は今川氏との関係を慮り、於大を離縁。於大は、水野氏の支城、刈谷城に移されました。

一五四五年、織田信秀による三河侵攻に際し、広忠は今川氏に加勢を依頼。見返りに竹千代を人質として差し出しました。

一五四七年、信元の意向で於大は阿古居(阿久比)城主・久松俊勝の後妻として再嫁。

俊勝は水野氏の女性を妻に迎えていましたが早逝。俊勝は、水野氏、松平氏双方との関係強化を図り、於大を迎え入れました。

一五四九年、広忠が尾張遠征中に家臣に暗殺されます(森山または守山崩れ)。

於大は俊勝との間に三男三女をもうけましたが、竹千代とも音信を取り続けました。

一五六〇年、桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られ、今川氏から離脱した竹千代改め家康は織田信長と同盟。

家康は、俊勝と於大の息子三人(つまり異父弟)に松平姓を与えて家臣とし、於大を母として迎えました。

於大は俊勝の死後、剃髪して伝通院と号します。

一五八四年、小牧・長久手の戦いの後、子の松平定勝を羽柴秀吉の養子にする話が浮上。於大は強く反対して家康に断念させました。

この養子話が成立していたら、以後の豊臣・徳川の歴史はさらに複雑なものになっていたでしょう。

一六〇二年、家康の滞在する京都・伏見城で逝去。七十八歳の生涯でした。江戸小石川伝通院に埋葬され、墓所は坂部城近くの洞雲院にも建立されました。

★開山所と番外札所

さて、名鉄河和線に沿ってさらに南下。阿久比から半田に向かいます。知多四国霊場には八十八の札所のほかに、三つの開山所、七つの番外札所があります。次回は道中二ヶ所目の番外札所にも寄っていきます。乞ご期待。


第179話(2017年5月)

皆さん、こんにちは。新緑がまぶしい季節になりました。それでも朝晩は冷え込む日 もあります。くれぐれもご自愛ください。 今年のかわら版は知多八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は十一番札所 から出発です。

★寺子屋の発祥地

国道三六六号線沿いに南下、JR武豊線東浦駅近くから西側の集落の中に入って進む と、十一番札所、光明山安徳寺。十番札所から二・〇キロメートルです。

開創当初は衣浦湾近くにあったそうですが、水害や大火に見舞われ、現在地に移りま した。

恵心僧都作の薬師如来像は東浦町の指定文化財。

安徳寺は知多地方における寺子屋発祥地。そのためか、明治五年の学制開始とともに 周辺三村が共同で学校を開設。現在の藤江小学校の前身です。

ご本尊 釈迦牟尼仏
ご詠歌 後の世も 此の世も心安徳字 仏の御名に 汚れ洗ふて

★歳弘法

十一番札所から十二番には行かず、半田市亀崎の番外札所、亀宝山東光寺に向かいま す。十一番から三・六キロメートルです。

国道三六六号線は線路下をくぐってJR武豊線の東側へ。国道を左に折れて亀崎小学 校を過ぎた先にあるのが東光寺。

明治三十三年創建当時は念仏の布教所。やがて、和歌山の同名の寺からご本尊と寺号 を移しました。

開基の実空誠感上人がお大師様の誕生から入定までの各年齢の六十二体の大師像を奉 安。東光寺は歳弘法で知られています。

日限(ひぎり)大師、厄除け大師、衆生済度大師を祀る三体大師堂もあり、参詣者の 多い番外札所です。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 身はここに 心はいつか東光寺 弘法大師念じたる身は

★開眼の杖

東光寺から一・〇キロメートル。海に面して、神前神社と並んで立つのが五十四番札 所、亀嶺山海潮院。

文明年間(一四八〇年頃)創建の古刹。亀崎城主や刈谷城主に庇護され、北浦から現 在地に移りました。

もともとの五十四番札所は野間にありましたが、明治の廃仏毀釈で廃院。大師像は他寺で保護され、明治三十四年、海潮院が五十四番札所として承認され、引き継ぎまし た。

大正元年、水野村(現瀬戸市)の盲目の加藤鉄次郎さんが大師像の前で突然目が見えるようになったという霊験が伝わっており、開眼の杖が御礼奉安されています。

ご本尊 釈迦牟尼仏
ご詠歌 亀崎の 海潮院に波静か 釈迦牟尼仏の まもりゆたかに

★水弘法

さて、番号順のルートに戻って亀崎から西に三・四キロメートル。十二番札所は徳応 山福住寺。

永禄二年(一五五九年)、緒川と刈谷の城主だった水野信元が福住村(現阿久比町) にあった寺をこの地に移し、砦の鎮護としたのが縁起です。

眼病にご利益のある水弘法、夢のお告げで三河から移された千体地蔵などが祀られて います。

ご本尊 無量寿如来
ご詠歌 極楽も そのままなれや福住寺 後の楽しみ 有脇の里

★天白地蔵

十二番札所からさらに西に二・七キロメートル。十三番札所は板嶺山安楽寺。名鉄 坂部駅からは一・三キロメートルのところにあります。

観音堂の聖観世音菩薩像は行基作。九年に一度、ご開帳されます。

地蔵堂の天白地蔵に穴の開いた柄杓を供えてお参りすると、耳の遠いのが治るご利 益。かつては遠方からもお年寄りが参拝したそうです。

ご本尊 無量寿如来
ご詠歌 板山の 弥陀に詣れば松ヶ枝に おとなふ風も 念仏の声

★於大の方(伝通院)

さて、来月は名鉄河和線に沿って南下し、阿久比から半田市街に向かいます。家康公 の生母、於大の方(伝通院)の墓所がある洞雲院にも参ります。乞ご期待。


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大塚耕平

  • 2002年から「弘法さんかわら版」を書き続けています。仏教に親しみ、仏教から学び、仏教を探訪しています。より良い社会を目指すうえで仏教の教えは大切です。「弘法さんかわら版」は覚王山日泰寺(名古屋市千種区)と弘法山遍照院(知立市)の弘法さんの縁日にお配りしています。縁日はお大師様の月命日に立ちます。覚王山は新暦の21日、知立は旧暦の21日です。
  • 著書に「お大師様の生涯と覚王山」(大法輪閣)、「仏教通史」(大法輪閣)など。全国先達会、東日本先達会、愛知県先達会、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念イベント(室戸市)、中日文化センターなどで講演をさせていただいています。毎年12月23日には覚王山で「弘法さんを語る会」を開催。ご要望があれば、全国どこでも喜んでお伺いします。
  • 1959年愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院博士課程修了(学術博士、専門はマクロ経済学)。日本銀行を経て、2001年から参議院議員。元内閣府副大臣、元厚生労働副大臣。現在、早稲田大学総合研究機構客員教授(2006年~)、藤田保健衛生大学医学部客員教授(2016年~)を兼務しています。元中央大学大学院公共政策研究科客員教授(2005年~17年)。