弘法さんブログ

第194話(2018年8月)

皆さん、こんにちは。酷暑です。健康にはくれぐれもご留意ください。 昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は七十二番からです。

★雨乞いの壺

七十一番から北上すること約四・七キロメートル、七十二番は白華山慈雲寺。一三五○年、大野城主一色範光が開基し、夢窓国師を開山とする古刹です。

山を借景にした門景が優れ、威風堂々の大伽藍と相俟って、知多四国霊場中、屈指の景勝寺とも言われます。江戸時代の「尾張名所図会」にも、名勝として紹介されています。

一六○○年建立の観音堂はこの地域最古の建物。二○○年前に雨乞いの壺も寺宝として保存されています。

ご本尊 千手千眼観世音菩薩
ご詠歌 嬉しくも 慈雲たなびく寺に来て 御名を唱ふる 法の声々

★佐布里池・佐布里梅林

七十二番から東へ約二・一キロメートル行くと、七十三番から七十七番までの札所が密集する佐布里(そうり)という集落。変わった地名ですが、愛知用水の調整池である佐布里池と佐布里梅林で知られています。

七十三番は雨宝山正法院。当院は、一一八四年に創建された雨宝山如意寺一山九坊の本坊です。

明治時代の廃仏毀釈等で一山は縮小。現在は当院が七十五番と七十六番の管理、納経、御朱印も行っています。

ご本尊 地蔵菩薩
ご詠歌 一筋に 正しき法の道行かば 迷いの夢も やがて晴れなん

★ご本尊は弘法大師

七十三番の南側に隣接するのは七十五番、雨宝山誕生堂。

七十五番は如意寺一山の泉蔵坊に置かれていましたが、明治になって無住無壇になって廃寺。そのため、本坊境内の山上に堂宇が建立され、大師像が安置。ご本尊は弘法大師です。

四国霊場七十五案はお大師様生誕地であるこことから、誕生堂と命名されました。

ご本尊 弘法大師
ご詠歌 何時までも 色は香へど弘法の 徳は言葉の 花ぞ目出度し

★佐布里の祈願所

七十五番の南に隣接するのは七十四番、雨宝山密厳寺。もちろん、雨宝山如意寺一山九坊のひとつです。

境内には、薬師堂、白山社、天神社もあり、家内安全、病気平癒、安産祈願、学業成就、合格祈願等、諸願成就の寺として信仰を集めており、「佐布里の祈願所」として親しまれています。

毎年十一月八日、薬師如来の縁日で味噌田楽が振る舞われます。

ご本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 知多の里 梅咲き香る密厳寺 現世の利益 受けぬ者なし

★雨乞いの地蔵

七十四番から道路を挟んで西側に隣接するのは七十六番、雨宝山如意寺。かつては大伽藍でしたが、戦国時代の兵火で堂宇のほとんどを焼失。

ご本尊の地蔵菩薩は「雨乞いの本尊」として数々の霊験が伝わります。

今は無住のため、納経、御朱印等は七十三番が代行しています。

ご本尊 地蔵菩薩
ご詠歌 有難や 六道能化地蔵尊 諸仏にまさる 慈親貴とし

★中風除箸

七十六番から隣接する諸寺の方向へ戻ると、一番北側に隣接するのが七十七番、雨宝山浄蓮寺。

裏山には、お大師様が知多巡錫の際に立てた杖から芽吹いたと伝わる竹藪があり、そこから採った竹で作った「中風除箸」が知られています。現在は竹ではなく南天で作られ、参拝者の人気を集めています。

ご本尊 不動明王
ご詠歌 浄き蓮うてなの上に 生まれんと動かぬこころ 仏ともみん

★福生寺

来月は知多四国霊場を開創した亮山阿闍梨が入寂した七十八番、福生寺に向かいます。乞ご期待。


第193話(2018年7月)

皆さん、こんにちは。いよいよ夏ですね。暑い日が増えますが、くれぐれもご自愛ください。昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は六十七番からです。

★大野城

六十六番から七十一番は名鉄常滑線大野町駅周辺。大野町駅のひとつ南側の西ノ口駅の東、少し高台になった青海山に大野城がありました。

中世から戦国時代にかけて、大野氏、一色氏、佐治氏の居城となり、伊勢湾を見下ろす海運拠点として当地を支配していました。

佐治氏三代目の信方の正室は織田信長の妹・お犬。跡継ぎ与九郎の正室は、信長の妹・お市の娘、お江。

やがて信長の弟、織田有楽斎が城主となるなど、大野城は重要な戦略拠点でしたが、有楽斎が北方に大草城を建てたために廃城となりました。

★三尊安置

六十六番から西に約一・四キロメートル、六十七番は松尾山三光院。

一三一四年、小倉山蓮台寺十七坊の一院として創建。大野城の鬼門護持のための阿弥陀如来、聖観音、不動明王の三尊安置に由来して三光院と呼ばれました。一色氏、佐治氏の庇護を受けたものの、一六○○年、伊勢の九鬼氏が当地に侵攻し、兵火で寺は焼失。

本堂等の老朽化により、平成二十四年、蓮台寺の境内に移転しました。

ご本尊 聖観世音菩薩
ご詠歌 浮世をば 光り照らせる大慈悲は 世にも輝く小倉かなやま

★火防(ひぶせ)大師

六十七番から約一・○キロメートル、名鉄常滑線の西側にあるのが六十八番、龍王山寶藏寺。六十六番と同じく、聖徳太子創建の宮山金蓮寺九ヶ寺の一寺が縁起。

当寺の大師像は「火防大師」として名高く、篤く信仰されています。堂内には、信者が高野山から持ち帰った「消えずの燈明」が祀られています。

ご本尊 千手観世音菩薩
ご詠歌 火のあとと 仏の顔は心して 再び三度 ふりかへりみよ

★願い石

六十八番から約○・四キロメートル、再び名鉄常滑線の渡ると六十九番、宝苑山慈光寺。知多市に入りました。

一三九四年、大野城主・一色満範が菩提寺建立を発願。鎌倉円覚寺の清源和尚を招いて開創したのが縁起。境内には満範と清源和尚お手植えの椎の老木二本が並びます。

仏師春日定朝作のご本尊は「厄除観音」として信仰されています。弘法堂前の「願い石」の細長い穴から大師像を覗いて祈願すると願いが叶うと信じられています。

ご本尊 厄除聖観世音菩薩
ご詠歌 結びつる 露に縁ある大草の 里や慈光に 照らされつあり

★大草のお地蔵さん

六十九番からまた東に約○・八キロメートル、七十番は摩尼山地蔵寺。

行基菩薩が八世紀に開いたと伝わる古刹。弘法大師が彫ったご本尊は「大草のお地蔵さん」として信仰されています。

江戸時代の享保年間、お竹さんという盲目の女性が七日七夜参篭。お告げに従って井戸を改修すると、目が見えるようになった霊験が伝わります。

ご本尊 地蔵菩薩
ご詠歌 慈悲の誓 願たてし地蔵寺の 仏の功徳 仰がざらめや

★めがね弘法

七十番から東へ約一・四キロメートル、七十一番は金照山大智院。

聖徳太子開創の古刹。十五世紀に大野城主・佐治為永の祈願所となりました。

当院の身代大師像は別名「めがね弘法」。一八六○年、目の不自由な老翁が祈願すると快癒。自分の眼鏡を大師像にかけたことがきっかけです。境内には用済みになった眼鏡を納める「めがね塚」もあります。

ご本尊 観世音菩薩・前立馬頭観音
ご詠歌 世の人の 仰ぐも高き大智院 ふこう功徳の仏いませば

★梅の名所、佐分里

来月は五札所が密集する佐分里に向かいます。梅の名所としても知られています。乞ご期待。


第192話(2018年6月)

皆さん、こんにちは。梅雨の季節になりました。腰痛、神経痛が気になりますね。くれぐれもご自愛ください。

昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は六十二番からです。

★むねなで大師

六十一番を出て西進。集落や畑の中を進むこと約一・五キロメートル、六十二番は御嶽山洞雲寺。

かつて六十一番高讃寺は七堂伽藍を有した大寺院だったことは先月ご紹介しました。

一五三七年の兵火で堂宇伽藍は破壊・焼失し、仏像は難を逃れて池に沈められたり、田畑に埋められました。

その後、当地の御嶽池の中から阿弥陀如来像が発見され、それを祀ったのが当寺の始まりです。

昭和初期、重い胸の病にかかっていた鳴海の木村徳蔵さん。「我は六十二番の大師なり」と告げる僧に納経帳で胸をなでられる夢を見ました。

早速家族に代参を頼むと、たちまち快癒。この霊験に因んで「むねなで大師」として信仰を集めています。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 東浦 日間賀しの島西浦に 大師の垂水 あ利がたくうく

★イブキの巨木

六十二番から北上すること約一・七キロメートル、奥条の集落の中にあるのは六十三番、補陀落山大善院。

やはりルーツは七堂伽藍三百坊を擁した六十一番高讃寺。そのうちの一坊のご本尊、十一面観世音菩薩を当地に移したのが寺の始まりです。

常滑城初代城主・水野忠綱、その子息・興覚法印の庇護を受けて繁栄。常滑城の鬼門に当たることから、牛頭天王(素戔嗚尊=すさのおのみこと)を鎮守中の宮に奉祀。

境内を覆うイブキの巨木は樹齢五百五十年以上の常滑市天然記念物です。裏山は知多半島有数のヤブツバキの群生地です。

ご本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 じゅうらくの 大善院に詣で来て 仏の利益 うくるうれしさ

★癌封じ寺・いぼとり地蔵

六十三番から西に約○・七キロメートル、六十四番は世昌山宝全寺。

一五七三年創建と伝わりますが、その後の寺の縁起はあまり詳しくはわかりません。

境内には、三十三観音、十王堂、秋葉堂、三宝荒神堂、弘法堂、金毘羅堂、地蔵堂が建ち並び、村人に長く親しまれてきた鎮守。金毘羅堂の屋根には珍しい天狗の瓦が置かれています。

癌封じ寺・いぼとり地蔵として知られ、ご利益があると信仰されています。

ご本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 宝積む 全き寺の 鐘の声 寂滅為楽と 響く入相

★安阿弥作の延命地蔵大菩薩

六十四番からまた東に戻ること約一・○キロメートル、六十五番は神護山相持院。

開創は一五六○年。明治十一年に廃仏毀釈によって六十四番に統合されたものの、明治三十六年に復興。大正十年に寺号を元に戻し、現在地へ。

開創時のご本尊と伝わる延命地蔵大菩薩は南北朝時代の安阿弥の作。昭和三十九年には、知多半島最大の大梵鐘が鋳造、奉安されました。

ご本尊 延命地蔵大菩薩
ご詠歌 神護る 山に吹く風 清らかに 延命地蔵 ゐます相持院

★絹本著色仏涅槃図

六十五番から国道一五五線を北上。常滑高校の前を通って約五・三キロメートル、六十六番は八景山中之坊寺。

聖徳太子開創の宮山金蓮寺の九坊中の一坊として開創。一五八四年に兵火に遭って金蓮寺は焼失。それから七年後、政憲和尚が金蓮寺のご本尊、十一面観世音菩薩を奉じて中興。

寺宝として、国指定文化財の「絹本著色仏涅槃図」や奥州中尊寺の寺宝だった大般若経などがあるそうです。

ご本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 法の道 守る心の中之坊 堅き石瀬や かなやまの里

★大野城

六十六番から七十一番は名鉄常滑線大野町駅周辺。来月は戦国時代の重要拠点であった大野城の歴史について少し触れたいと思います。乞ご期待。


第191話(2018年5月)

皆さん、こんにちは。気持ちのよい新緑の季節になりましたが、朝晩はまだ冷え込む日もあります。くれぐれもご自愛ください。

昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は常滑に入ります。

★一切厄除大師

五十七番を出て国道二四七号線を北上。並走していた名鉄知多新線が富貴に向かって東に折れた後も国道を北上。五十七番から約七・五キロメートル、番外札所の金鈴山曹源寺に到着。

明治初期まで隣接する八幡社も管理していたため、地域の皆さんからは「宮寺」と呼ばれて親しまれています。

「一切厄除大師」として知られる当寺の御尊像は、お大師様が大蛇悪鬼を護摩妙供の秘力で退散させた時の姿と伝わります。

大正十二年、足の不自由な岡山県出身の岡田長五郎さんが夢のお告げに従って当寺を参拝したところ、霊験を得て快癒。使っていた木製の車(いざり車)が奉納されています。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 ありがたや 金鈴山の岩陰に 弥陀のまします 曹源の寺

★分身大師

曹源寺から約○・二キロメートル、国道沿いにあるのが五十八番、金光山来応寺。

昭和三十七年、名古屋市の寺尾勝次郎さんのもとに持ち込まれた泥まみれの石像。洗い清めると五十八番の大師像に似ていたので堂を立てて供養。すると、何と商売が繁盛。感謝して奉納された石像が分身大師です。

その隣には「ごっとり地蔵」も祀られています。「ごっとり」とは「ぽっくり」のこと。当地の村人の「ごっとり(ぽっくり)往生」の願いが込められており、今も信仰を集めています。

ご本尊 如意輪観世音菩薩
ご詠歌 仏徳の あまねき光り 来応寺 大悲のめぐみ 我に添ひくる

★准提観音像

五十八番から約○・二キロメートル、国道から少し集落の中に入ると五十九番、萬年山玉泉寺。

ご本尊は聖徳太子作とされる延命地蔵菩薩。十二年に一度、子年だけにご開帳される秘仏です。

お大師様のご真筆とされる准提(じゅんでい)観音像も伝わります。

ご本尊 延命地蔵菩薩
ご詠歌 玉泉寺 湧き出るいづみ 地蔵尊 今も変わらぬ 慈悲のいさおし

★本四国お砂踏み霊場

五十九番から集落の中を抜けて約一・六キロメートル、六十番は大光山安楽寺。

開創(一五八六年)に先立つ一五三七年、織田氏と今川氏の交戦による戦火を避け、隣の六十一番の古刹、高讃寺からご本尊をこの地に移したのが寺の縁起と伝わります。

本堂前には四国の形を象った本四国お砂踏み霊場が設けられています。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 阿弥陀仏 光り放たす 安楽寺 詣るまにまに 助けたまはん

★知多三山

六十番から再び国道二四七号線に戻って北上すること約二・三キロメートル、六十一番は御嶽山高讃寺。

天武天皇の勅願により六八三年、行基菩薩によって創建されたと古刹。

かつては七堂伽藍を有した大寺院。四十三番岩屋寺、八十二番観福寺とともに知多三山と呼ばれていました。

一五三七年、織田氏と今川氏の交戦による戦火で堂宇の大半を焼失。さらに文禄年間(一五九二〜九六年)にも兵火に遭い、三百坊あったと言われる巨刹は南坊一院のみとなりました。

ご本尊は関東地方に多い鉈(なた)彫り様式。その西限と言われています。参道山門の仁王像は鎌倉時代のもの。知多四国霊場最大の三メートル級です。

ご本尊 聖観世音菩薩
ご詠歌 張り挙げて 仏の功徳 高讃寺 あの世までもと 響け渡らめ

★六十八番までは常滑市

来月は六十二番からですが、名鉄常滑線大野駅近くの六十八番までが常滑市内の札所。さて、何番まで行けるでしょうか。乞ご期待。


第190話(2018年4月)

皆さん、こんにちは。いよいよ春本番。でも朝晩は冷え込む日もあります。くれぐれもご自愛ください。昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は野間です。

★咳(せき)地蔵

五十二番から約○・三キロメートル、五十三番は鶴林山安養院。白川天皇勅願の大御堂寺(五十番)の十四坊の一院、南の坊が前身です。

一一九○年、源頼朝が父義朝の菩提を弔うために堂宇を創建。一五八三年、秀吉に敗れた信長の三男、織田信孝が当院で自害。遺品の短刀、時世の句、臓腑を投げつけた血染めの軸、自刃の間等が現存します。

別堂に祀られている「咳地蔵」は、咳や喘息快癒にご利益があると信仰されています。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 野間の月 見れば心のますかがみ おのが浄土は いかでくもらん

★義朝廟所

五十二番から約○・二キロメートル、ほぼ隣接しているのが五十番、鶴林山大御堂寺。開創は天武天皇時代(七世紀後半)。平安時代に白河天皇の勅願寺として大御堂寺と命名され、伽藍も整備されました。

法山寺(五十五番)に隣接する湯殿で襲われた義朝。「我に木太刀の一本もあれば」と無念を叫んだ義朝。境内の義朝廟所には木太刀を奉納する人が絶えません。

一一九○年、源頼朝が父義朝の菩提を弔うために、開運延命地蔵、不動明王、毘沙門天を奉安しました。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 大御堂 弥陀の光を眺むれば 後生を願う 心起らん

★伏見桃山城

大御堂寺に隣接するのは五十一番、鶴林山野間大坊。源頼朝が父義朝の菩提を弔うために奉安した前述の開運延命地蔵がご本尊です。

大御堂寺の一坊として創建され、江戸時代の地誌「尾張名所図会」には名勝地として紹介されています。

本殿は、秀吉晩年の居城となった伏見桃山城の一部を寛永年間(十七世紀半ば)に移築した客殿様式の県の重要文化財です。

ご本尊 開運延命地蔵菩薩
ご詠歌 昔より いとも名高き大坊に 白豪の光り 見るぞ嬉しき

★御湯殿

野間大坊から約一・四キロメートル、五十五番は曇華山法山寺。行基菩薩がこの地に優曇華(うどんげ)が咲き乱れるのを見て、衆生済度を祈願して当寺を建立。自ら薬師如来を彫像して奉安しました。

境内と細道を挟んで建つ御湯殿は、一一六○年、源義朝が入浴中に長田忠致・景致親 子に襲われた場所。今も当寺がお守りしています。

ご本尊 御湯殿薬師如来
ご詠歌 法の山 聞くも嬉しき薬師尊 病なかれと 頼め祈れよ

★鎌田兵衛正清

五十五番から約一・七キロメートル、五十七番は乳竇山報恩寺。

源義朝とともに殺害された鎌田兵衛正清の乳母、報恩寺殿乳竇貞哺大禅定尼が正清の菩提を弔うために創建しました。襲撃した長田忠致は、正清の舅でした。

お大師様がこの地を巡錫した際、湧水の場所を示した後に一夜にして彫った石観音像が大師像の横に祀られています。

ご本尊 西方如来
ご詠歌 現当の 二世の安楽弥陀如来 こころ奥田の 報恩の寺

★常滑市へ

野間に別れを告げて、国道二四七号線を北上。来月は常滑市に入ります。常滑市には十一カ所の札所があります。乞ご期待。


第189話(2018年3月)

皆さん、こんにちは。春が待ち遠しい季節になりましたが、まだまだ寒い日が続きま す。くれぐれもご自愛ください。

昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は野間に向 かいます。

★御助大師(おたすけだいし)

四十七番持宝院を出て国道二四七号線を北上すること約四・〇キロメートル、小野浦 を越えて集落の中に入ると四十八番禅林山良参寺があります。

江戸時代末期から明治時代初期にかけて、小野浦は千石船の拠点港として知られてい ました。

一八三二年、大坂から江戸に向かう途中に遭難して米国に漂着した宝順丸の乗組員の 墓碑があり、その中の音吉、久吉、岩吉の通称「三吉」は初の邦訳聖書を制作したそ うです。

当寺のお大師様の像は御助大師と呼ばれ、目の見えない女性が開眼した霊験などが伝 わっています。

ご本尊 聖観世音菩薩
ご詠歌 はるばると まいる禅林良参寺 吹き来る風も 御仏の声

★細目の毘沙門さん

良参寺からさらに約二・一キロメートル北上すると四十九番、護國山吉祥寺。

開山は一六〇五年、関嶺元通首座。再興は雲眠瑞大和尚。火災後の再建派州海寛和尚 と伝わっています。

別堂にある秘仏・毘沙門天は行基作。一本の木から三体を作ったうちの一体。顔の特 徴から「細目の毘沙門さん」と呼ばれ、付近の地名(細目)にもなりました。もう一 体は広目寺(常滑市)にある「広目の毘沙門さん」。最後の一体はどこでしょうか、 気になります。

本堂には法隆寺の夢違観音を模した観音様が鎮座。悪い夢を良い夢に取り換えてくれ るご利益があるそうです。

ご本尊 釈迦牟尼仏
ご詠歌 何事も 吉祥なれど 祈る身は やがて幸よき 因縁ぞ来む

★白衣観世音菩薩

さて、野間の中心部に向かいます。野間は源頼朝の父、義朝最期の地。頼朝の生母は 熱田神宮大宮司の娘。生誕地も熱田神宮近く(現在の誓願寺の場所)。義朝・頼朝親 子は愛知県に縁が深いのですが、信長・秀吉・家康があまりにも有名なため、地元の 皆さんもあまり意識していませんね。

義朝・頼朝親子に縁の深い五寺(五十・五十一・五十三・五十五・五十七番)に行く 前に、道程の都合上、まずは五十六番、祥雲山瑞境寺に向かいます。五十五番から約 一・五キロメートルです。

開山は蘭峰盛曇和尚、中興は雷淵黙要和尚、再興は岱豊秀山和尚。五十五番吉祥寺と 同様に、開山・中興・再興の祖が伝承されています。

ご本尊の白衣観世音菩薩は日本に三体あるうちの一体と伝わり、息災徐病にご利益が あるとして信仰を集めています。

ご本尊 白衣観世音菩薩
ご詠歌 慈悲の目に にくしと思ふものはなし 命あるもの あはれまします

★かじとり観音

五十六番から約〇・四キロメートル、五十二番は鶴林山密蔵院。

寺の縁起は白河天皇勅願寺(大御堂寺)の塔頭寺院(宝乗坊)。

前述のとおり、野間は千石船の拠点。当院の別堂には、船乗りたちの信仰を集めた如 意輪観音、別名「かじとり観音」が祀られています。その脇には、古くなった船が置 かれています。

ご本尊 不動明王
ご詠歌 法界を 平等に見る御仏は 密蔵院にて 輝きてます

★大御堂寺

来月はいよいよ野間中心部。源義朝の廟所がある大御堂寺ほか、縁の深い五寺に向か います。乞ご期待。


第188話(2018年2月)

皆さん、こんにちは。立春も過ぎましたが、まだまだ寒い日が続きます。くれぐれも ご自愛ください。

昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は内海に向 かいます。

★もくれん寺

四十三番岩屋寺から山海に戻る途中、右折して北上すること約四・五キロメートル。 四十四番は菅生山大宝寺です。

お大師様が知多半島を巡錫した道中、修行場にした「硯水大師霊場」の場所とも伝わ ります。

本堂前の湧水は、お大師様のお告げどおり、一七五一年に湧き出したと言われていま す。

境内では、三月から四月にかけて多くの木蓮の花が咲き誇ることから、「もくれん 寺」と呼ばれてお遍路さんに親しまれています。

ご本尊 釈迦如来
ご詠歌 この山に 仏のくどく あらわれて 湧き出る水は 甘露にもます

★だるま弘法

内海に向かって西進し、国道二四七号線に出て左折。大宝寺から約二・〇キロメート ルにあるのが四十五番、尾風山泉蔵院。

お大師様が知多半島を巡錫した折の霊跡に建てられた泉蔵坊。室町時代に地元の国衆 一色氏の居城、内海城の城内に移築されました。

やがて一色氏は家老の佐治氏に追われ、内海城は廃城。泉蔵坊はその廃城跡を寺域と し、泉蔵院に改称しました。ご本尊は行基作と伝わる同座の阿弥陀如来と薬師如来で す。

泉蔵院は祈願成就のだるまで知られており、通称「だるま弘法」と呼ばれています。

ご本尊 阿弥陀如来 薬師如来
ご詠歌 弥陀薬師 名はいろいろに異なれど とうきふやくの 慈眼とぞ知れ

★円空作薬師如来立像

国道二四七号線を北上し、内海の集落の中に入り、四十五番から約〇・六キロメート ル歩くと、四十六番は井際山如意輪寺です。

奈良時代に行基によってこの地に創建された古刹、観福寺の一院がルーツ。観福寺は 往時には一山九院の隆盛を誇り、如意輪寺のみならず、四十五番も四十七番も観福寺 の一院でした。

観福寺は南北朝以降に荒廃しましたが、一五七四年に梅山和尚が中興開山となって再 興。

知多四国八十八ヶ所霊場が開創された翌年の一八二五年、如意輪寺には霊場会の本部 が置かれたそうです。

寺には円空作の秘仏、薬師如来立像が奉安されています。

ご本尊 如意輪観世音菩薩
ご詠歌 念ずれば 心の迷い 雲晴れて 真如の月は 常にかがやく

★山寺桜

如意輪寺から内海の集落内を通って名鉄知多新線を越えて約一・一キロメートル進む と、四十七番は井際山持宝院。

前述のとおり、このお寺もかつては古刹観福寺の一院。十四世紀末期の応仁年間に、 金尊上人が中興開山として復興しました。

かつては桜の名所として知られ、江戸時代末期の尾張国の地誌「尾張名所図会」に、 景勝地「山桜寺」として記されています。残念ながら、伊勢湾台風で多くの桜が倒木 したそうです。

山門に至る石段の脇には、お大師様が知多半島巡錫の折に加持祈祷したという「とど ろきの井戸」が残されています。

ご本尊 如意輪観世音菩薩
ご詠歌 花を見て 歌詠む人は 八坂寺 三仏浄土の 緑とこそ聞け

★源義朝・頼朝親子

来月は小野浦を経て野間に向かいます。源頼朝の父、源義朝最期の地として知られる 野間。乞ご期待。


第187話(2018年1月)

皆さん、明けましておめでとうございます。かわら版、今年もご愛顧のほど、よろし くお願い申し上げます。

昨年に続き、知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしていきます。

★お亀さん霊場

篠島から師崎に戻り、いよいよ知多半島西岸を北上。お遍路も後半に入ります。師崎 から約二・六キロメートル、番外札所の青泰山浄土寺に到着です。

明治四十二年、伊賀上野の谷村佐助という人が夢告に従って亀に慈悲を施したとこ ろ、病気が平癒。感謝して海に放した亀がこの地に漂着。

開山の亀岳鶴翁大和尚が霊亀出現の夢告を見た後であったため、この亀を龍亀大菩薩 として奉安。亀の甲羅には「奉大海龍大神、谷村佐助」と書かれていたそうです。お 亀さん霊場と呼ばれて親しまれています。

ご本尊 薬師如来
ご詠歌 波の音 みのりの声ぞ 小佐の? 浮かぶ心の 亀ぞまつれる

★御守腹帯

浄土寺から国道二四七号線を北上すること約三・八キロメートル、四十番は普門山影 向寺。

大師堂に祀られている子安大師像は、ご本尊の十一面観世音菩薩の神通力で現れたと 伝わります。安産、子育てに霊験があるとされ、大師像や経文を描いた御守腹帯のご 利益は有名で、遠隔地からの参拝客も多いそうです。

ご本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 中須をも 照らせる月の影向寺 彼岸浄土も さやかにぞ見る

★またたき弘法

さらに北上すること約二・五キロメートル、山海(やまみ)海岸に面して建つのは四 十一番、松原山西方寺。

流木で作られた山門、魚供養塔などがあり、海辺ならではの札所です。

当寺に祀られている大師像はまたたき弘法と呼ばれており、眼病平癒にご利益がある と親しまれています。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 皆人の 願う浄土は何処方ぞ月も傾く 西方の寺

★快慶作

山海交差点を東へ向かい、四十一番から約一・二キロメートル行くと四十二番、瑞岸 山天龍寺。

寺号の由来は、お大師様巡錫跡に立つ欅(けやき)の根元に湧く湧水が「龍泉」と呼 ばれていたためだそうですが、その湧水は昭和中期の災害で涸れたそうです。

ご本尊の阿弥陀如来は鎌倉時代の仏師、快慶作と伝わります。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 み佛の あらはれならむ天龍寺 小野の小田水 恵まれにけり

★尾張高野山

四十二番からさらに東に約〇・八キロメートル、四十三番は大慈山岩屋寺。

七一五年に元正天皇の勅願により行基菩薩が開創したと伝わる古刹。お大師様が二度 来山し、阿弥陀堂のご本尊は親鸞上人が奉安。

室町時代は大野城主佐治家、江戸時代は尾張徳川家の庇護を受けました。現在は尾張 高野山の総本山として多くの末寺を擁しているそうです。

ご本尊 千手観世音菩薩
ご詠歌 不思議とは 誰が口から岩屋でら 千手の誓い 利益あらたか

★身代大師総本山

岩屋寺の奥之院も番外札所。お大師様が八○八年に開創。知多四国霊場の中で唯一 の参籠の行場です。

お大師様がこの地の岩窟で護摩修法された際、「病気災難等の身代わりに立ちつかわ さん」と仰せになったことから、身代大師総本山として信仰されています。

ご本尊 聖観世音菩薩
ご詠歌 名も高き み山の奥之院 ふだらくせんの 姿なるらん

★山寺桜

来月は再び山海に戻って北上、内海に向かいます。かつては桜の名所として知られ、 山寺桜とも言われた四十七番まで行きたいと思います。乞ご期待。


第186話(2017年12月)

皆さん、こんにちは。いよいよ師走になりました。年末でお忙しいでしょうが、くれ ぐれもご自愛ください。

今年のかわら版は知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は三十五 番からスタートです。

★修行大師像

三十四番から大井漁港前を通って南に約二・六キロメートル。三十五番は神光山成願 寺。

お大師様が聖崎に上陸した際、当地で疫病が流行。お大師様の加持祈祷によって救わ れた村人が修行大師像を祀って霊跡としたのが始まりです。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 慈悲深き 弥陀をと頼む成願寺 利益をうけよ 思ふまにまに

★御手引大師

三十五番から師崎に向かう道中、約一・八キロメートル進むと三十六番、天永山遍照 寺。

元々は三十番医王寺の塔頭寺院十二坊の一院。医王寺が火災に遭った後、ここに移っ て再興されました。

ご本尊に弁財天を祀る知多四国霊場唯一の札所。別堂にはお遍路さんの道中安全を願 う御手引大師が祀られています。

ご本尊 弁財天
ご詠歌 巡り来て 友待つ筈の遍照寺 いざや急がん 西浦の里

★大光古墳

いよいよ師崎から船で日間賀島に渡ります。東港から約〇・三キロメートル、西港か ら約一・七キロメートル、三十七番は魚養山大光院。

やはり医王寺の塔頭寺院でしたが、一二一二年、島に移転しました。

島には古墳が多く、境内には大光古墳があります。また、別堂の金毘羅大権現は海上 安全の守護神です。

ご本尊 大日如来
ご詠歌 心して 渡れば波も静かなり島にさやけき 大光の月

★龍門の梵鐘

続いて篠島に渡り、港から約〇・九キロメートル行くと三十八番、龍門山正法禅寺。

静岡県袋井市の名刹、可睡斎の直末寺。開山の鳳山仙麟大和尚は今川家から逃げた竹 千代(徳川家康)を七十日間匿ったという逸話が伝わります。

一六四五年、金銀銅鉄で鋳造された龍門の梵鐘には伊勢の銘が刻まれており、篠島が 伊勢神宮領だったことを偲ばせます。

ご本尊 釈迦牟尼仏
ご詠歌 御佛の 救世の船に棹さしてわたる篠島 正法の寺

★月山・篠山霊場

三十八番から集落の中の狭い道を約〇・三キロメートル行くと、番外札所の寂静山西 方寺。

武田信玄が作らせたと伝わる火度見善光寺如来が祀られています。

土佐国月灘村から伝わった元月山大勢至菩薩と、伊予国一本松村から伝わった元篠山 大権現十一面観世音菩薩が祀られていることから、別名、月山・篠山霊場とも呼ばれ ます。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 皆人の 願ふ浄土は何処方ぞ月もかたむく 西方の寺

★八十八長寿薬師

再び集落の中を約〇・三キロメートル、三十九番は金剛山医徳院。やはり医王寺の 塔頭寺院で、一二一二年に篠島に移設されました。

一四六〇年、当寺北方の海に不思議な光が見られ、漁師が網を入れてみると薬師如来 像が揚がりました。その像が奉安されたご本尊となって八十八(やそはち)長寿薬師 と呼ばれ、長寿利益があると信心を集めています。

一五八二年、本能寺の変の後、伊賀越えで三河に戻る途中に徳川家康が、当寺に一泊 しているそうです。

ご本尊 薬師如来
ご詠歌 生れ来て 一度はまいれ篠島の 帝の井戸に 医徳かがやく

★尾張高野山

来月は再び師崎に戻り、半島を北上開始します。尾張高野山と呼ばれる四十三番、岩 屋寺まで行きたいと思います。乞ご期待。


第185話(2017年11月)

皆さん、こんにちは。もう十一月。寒い日が増えました。くれぐれもご自愛くださ い。

今年のかわら版は知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は三十番 からスタートです。

★七日間の護摩修法

二十九番を出て集落の中を南へ。馬道交差点から県道七号線に出てさらに南下し、大 井西交差点を左折。まもなく大井漁港に出ます。大井の集落には三十番から三十四番 の札所が密集しています。二十九番から三十番、宝珠山医王寺までは約二・七キロ メートルです。

七二五年、行基菩薩が草案を結び、八一四年には三河から船でこの地に上陸したお大 師様が当寺に参篭。七日間の護摩修法を行い、開山。

往時は七堂伽藍十二坊を擁し、そのうち四つの塔頭(たっちゅう)寺院が隣接して今 日まで続いています。

知多四国霊場三開山のひとり、武田安兵衛行者の墓もあります。

ご本尊 薬師如来
ご詠歌 大井潟 救世の舟に棹さして 渡るも嬉し 法の医王寺

★赤門寺

三十番に隣接する三十一番、宝珠山利生院。医王寺の塔頭寺院のひとつ、東光庵とし て開創されました。

丹塗りの門のため、通称「赤門寺」。毎年一月二十八日の初不動では息災護摩供が行 われます。小さな木札の「弘法さまの一年守り」はご利益があるとして人気です。

ご本尊 不動明王
ご詠歌 阿字の原 絶なく八つの風吹けど 利生のちかひ 不動盤石

★金毘羅大権現護摩供

三十一番に隣接するのが三十二番、宝珠山宝乗院。やはり医王寺の塔頭寺院、宝泉坊 が基となっています。

旧暦十月十日の金毘羅大権現護摩供の縁日は二百年以上続いているそうです。金毘羅 大権現は海の守り神であり、古くから漁師の篤い信仰を集めています。

ご本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 宝珠の峯に たなびく白雲は 我が身をのせて 花の浄土へ

★明星井

やはり三十二番に隣接する三十三番、宝珠山北室院。同じく塔頭寺院、浄光坊として 開創しました。

山門左手にあるのがお大師様縁の「明星井」。江戸時代に刊行された「尾張名所図 会」にも紹介されています。

当院は、聖崎の「上陸大師」の納経所にもなっています。

ご本尊 聖観世音菩薩
ご詠歌 東西南と 心迷へど 詣る浄土は 北室の寺

★福寿稲荷大明神

さらに三十三番に隣接する三十四番、宝珠山性慶院。塔頭寺院・円蔵坊として開創さ れました。

本堂左手には福寿稲荷大明神が祀られています。堂の前には左右三体ずつの「おきつ ねさま」。賭け事にご利益があると信じられ、参拝者が「おきつねさま」の石片を持 ち帰るため、ところどころ欠けています。

ご本尊 青面金剛
ご詠歌 来てみれば 性慶院に花飾り 菩提の種を 結ぶうれしさ

★上陸大師

八一四年、お大師様が三河から船で渡って来て上陸したのが当地。聖崎という地名 もその史実に由来します。港の沖の岩礁には上陸大師の像が立っています。

★師崎・日間賀島・篠島

来月は上陸大師を横目にさらに南下。いよいよ師崎です。船に乗って日間賀島、篠島 に渡ります。乞ご期待。


検索でさがす

大塚耕平

  • 2002年から「弘法さんかわら版」を書き続けています。仏教に親しみ、仏教から学び、仏教を探訪しています。より良い社会を目指すうえで仏教の教えは大切です。「弘法さんかわら版」は覚王山日泰寺(名古屋市千種区)と弘法山遍照院(知立市)の弘法さんの縁日にお配りしています。縁日はお大師様の月命日に立ちます。覚王山は新暦の21日、知立は旧暦の21日です。
  • 著書に「お大師様の生涯と覚王山」(大法輪閣)、「仏教通史」(大法輪閣)など。全国先達会、東日本先達会、愛知県先達会、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念イベント(室戸市)、中日文化センターなどで講演をさせていただいています。毎年12月23日には覚王山で「弘法さんを語る会」を開催。ご要望があれば、全国どこでも喜んでお伺いします。
  • 1959年愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院博士課程修了(学術博士、専門はマクロ経済学)。日本銀行を経て、2001年から参議院議員。元内閣府副大臣、元厚生労働副大臣。現在、早稲田大学総合研究機構客員教授(2006年~)、藤田保健衛生大学医学部客員教授(2016年~)を兼務しています。元中央大学大学院公共政策研究科客員教授(2005年~17年)。