皆さん、こんにちは。いよいよ春本番。とはいえ、朝晩は冷え込みます。くれぐれもご自愛ください。今年のかわら版は三河新四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。さて、今月から紙上遍路に出発。まずは開創霊場をお訪ねし、三河三弘法からスタートです。

★見返弘法大師の遍照院

知立駅あるいは三河知立駅から徒歩十五分、弘法通りを進むと左側に弘法山遍照院の山門があります。

お寺には山号・院号・寺号がありますが、ここ遍照院は院号で親しまれ、三河新四国の開創霊場として知られています。真言宗豊山派のお寺です。

八二二年(弘仁十三年)、お大師様が関東方面に巡錫する途中、当地に約一ヶ月逗留。

修行場として当寺を開創し、旅立ちの際に庭の赤目樫の木でご自身の坐像を三体刻まれました。

三体のうち、最も根本に近いところの木で刻まれた坐像が当寺のご本尊。

別れを惜しんでやや右を向いて振り返っているお姿から、見返弘法大師と呼ばれています。

残りの二体は、二番札所(西福寺)と三番札所(密蔵院)に祀られています。

お大師様自ら建立した名刹として千二百年の法燈を継承。旧暦二十一日の月命日には「弘法さん」の縁日が立ちます。

ご本尊 見返弘法大師
ご詠歌 さらぬだに 竜華の春の 遠ければ 見返り給ふ 慈悲ぞ 深けれ

★流汗不動明王の総持寺

遍照院から北上し、名鉄線を越えて約三キロメートル。一番札所は神路山総持寺、天台寺門宗のお寺です。

先月号で一寺院二札所が三河新四国の特徴とお伝えしましたが、一番札所から四番札所までは一寺院一札所です。

八五〇年(嘉祥三年)、慈覚大師が開山。ご本尊の流汗不動明王は、お大師様が当地ご逗留の際に刻まれました。

衆生(人々)の願いを叶えるべく、汗を流して霊験に努め、いつしか流汗不動明王と呼ばれるようになったご本尊。お顔は黒光りし、お腹には三筋の流れる汗が見えるそうです。

唐風とも思える山門前を通るのは旧東海道。かつては知立神社の別当寺でした。

ご本尊 流汗不動明王
ご詠歌 総て持て 仏の慈悲の深ければ 此の世 後の世 願う心を

★見送弘法大師の西福寺

一番札所から西へ約一・五キロメートル、二番札所は大仙山西福寺。曹洞宗のお寺です。この辺りは知立市と刈谷市が入り組んでおり、西福寺は刈谷市です。

元々は大仙山雲涼院と瑞雲山西福寺というふたつのお寺。約四百年前の戦火で焼失。両寺を引き継いで再建されました。

当山に安置されている見送弘法大師は、お大師様当地ご逗留の際に刻んだ三像のひとつ。したがって、当寺は三河三弘法の二番札所です。

境内から約百メートル離れた奥の院には大師井があります。干ばつに苦しむ当地を救うために、お大師様が錫杖で掘り当てた清水と伝わります。

ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌 わけ登る 花の嵐の 梢より 一ツ木山に 月ぞかがやく

★流涕弘法大師の密蔵院

二番札所から北東に約一キロメートル、三番札所は天日山密蔵院。臨済宗のお寺です。密蔵院も刈谷市です。

創建は八二二年(弘仁十三年)、開創霊場遍照院と同じです。

ご本尊の流涕(りゅうてい)弘法大師はお大師様が彫った三像のひとつ。当寺は三河三弘法の三番札所です。

二番札所と同様に、水不足で苦しむ衆生(人々)を救うためにお大師様がお加持を行い、冷水を湧き出させたと言い伝えられます。

人々が感謝して感涙したという意味でしょうか。流涕弘法大師の「涕」は「なみだ」や「水」を表す漢字のようです。

一七一四年(正徳四年)、木瞼禅師によって改宗、中興されて今日に至っているそうです。

ご本尊 流涕弘法大師
ご詠歌 あいきやうの 誓いを頼む いちりやま かみのかげある 寺に詣りて

★日本三庚申

さて、来月は知立に戻って四番札所の無量壽寺を巡拝した後、北上して豊田市の霊場を巡ります。日本三庚申のひとつを祀る三光寺(七番札所)も参拝します。乞ご期待。

(2020年3月)