弘法さんブログ

第25話(2004年7月)

皆さん、こんにちは。先月の弘法さんは、残念ながら台風に見舞われました。露店もほとんど出ず、お出掛けにならなかった方も多いと思います。そこで今日は、弘法さんかわら版も、先月号といっしょに配らせて頂いております。先月号もどうぞご覧ください。

「ごしょうとう」?「ごようとう」?

さて、かわら版第二十号(今年の二月号)で、毎年三月二十一日が弘法大師の年命日であり、これを「御祥当」と呼ぶことを紹介させて頂きました。その際、「御祥当」の読み方を「ごようとう」としておりましたところ、ある露店のご主人から「ごしょうとう」が正しい読みではないかとのご指摘を頂戴致しました。ありがとうございました。
お答えがたいへん遅くなって恐縮ですが、編集部スタッフが調べた結果をご報告させて頂きます。

「祥」=「正」なので「しょう」が正しいで「しょう」

結論から申し上げれば、「ごしょうとう」が正しい読み方でした。たいへん失礼致しました。
年命日は仏教用語では「祥月命日」(しょうつきめいにち)と言います。
これは、亡くなったその日、つまり、亡くなった日に正しく当たる日(=「正当(しょうとう)日」)のことです。「御祥当」は「御正当」なので、「ごしょうとう」が正しい読み方というわけです。
例えば、三月二十一日に亡くなった人の「正当」=「祥月命日」は毎年三月二十一日になります。
こうしたことから、弘法大師の「祥月命日」を人々が敬意を込めて「御祥当」と呼びます。
では、なぜ「正」が「祥」に変化したのでしょうか。
その理由の第一は、「お正月」と混同しないようにするためです。祥月は、正に忌(=命日)のある月なので「正忌月」とも言い、もともとは「正月(しょうつき)」とも呼ばれていました。でも、これでは年初のおめでたい「お正月(しょうがつ)」といっしょになってしまいますよね。
第二には、中国の古い儒教の影響があります。儒教の「礼記(らいき)」という書物には「親が死んで十三ヶ月目を小祥、二十五ヶ月目を大祥と言う」という記述があります。仏教が儒教の影響を受け、一周忌のことを小祥忌、三回忌のことを大祥忌と呼ぶようになりました。
こうした習慣を受け、「祥」という字が使われるようになったそうです。

お砂踏(おすなふみ)

「祥月命日」が「御祥当(ごしょうとう)」と呼ばれて人々の尊敬を集めている弘法大師空海ですが、大師の修験の場は言うまでもなく四国八十八か所霊場です。ここ覚王山八十八か所霊場は日本最小の最もお手軽な「写し」です。しかし、さらにお手軽な八十八か所霊場の功徳を得る方法があります。それは「お砂踏」というものです。それは、四国霊場の砂を詰めた座布団を踏み、それぞれの霊場のご本尊を描いた掛け軸を拝むという作法です。大変短い時間で四国霊場を巡礼したのと同じ霊験を得ることができるそうです。
この「お砂踏」が、なんと明日七月二十二日から八月三日まで、名鉄パレ神宮店で開催される「四国八十八か所、お砂踏、ご本尊展」で体験できます。
ご興味のある方は、是非お出掛けになってはいかがでしょうか。編集部も体験してきたいと思います。


第24話(2004年6月)

皆さん、こんにちは。弘法さんかわら版は今月号が第二十四号です。皆様のご愛顧をもちまして、丸二年を迎えることができました。本当にありがとうございます。
さて、今年の弘法さんかわら版は、覚王山八十八カ所霊場に因み、さまざまな「巡礼」についてご紹介させていただいています。先月号でとりあげました「七福神巡礼」について、もう少し詳しく調べてみました。

七難転じて七福と為す

七福神は室町時代の末頃、民衆に信仰されるようになりました。七福は「仁王経」というお経の中にある「七難七福」という言葉が語源とされています。「七」という数字は、中国では古くから縁起の良い数と考えられていたようです。七つの福徳がそれぞれの神に託されています。
恵比寿天(恵比須天)は、鯛を抱えた姿からわかるとおり、漁業や海運の神です。大黒天は農業や炊事の神、毘沙門天は武勇の神、弁財天(弁才天)は知恵と芸能の神、水の神です。福禄寿と寿老人はいずれも人々の幸福と長寿を司る神で、両者は同神とする説もあります。布袋は七福神の中で唯一実在した人物(中国の禅僧)が神格化されたものです。その豊かな体格から弥勒菩薩の化身とも言われています。なお、大黒天と毘沙門天は仏教の守り神でもあります。
七福神信仰は江戸時代に盛んとなり、宝船に乗った七福神の絵は商売繁盛の縁起物として喜ばれ、枕の下に敷いたり、床の間に飾る風習がはやりました。

愛知の七福神巡礼

福の神を祀る寺社仏閣を参拝する七福神巡りも、江戸時代中頃に盛んになりました。年末年始に行われることが多く、色紙一枚に七福神の御朱印を集めます。七福神巡りは全国にあります。愛知県内では、編集部が調べたところ、とりあえず九つ確認できました。
一番人気はなごや七福神です。笠寺観音の恵比須天、大須観音の布袋などが含まれています。この二つは、過去のかわら版でご紹介した名古屋四観音となごや七福神を兼ねていることになりますね。
なごや七福神を巡礼する方々のために、毎年一月上旬に名古屋三越で御朱印を押すための色紙を配布してくれます。ご興味のある方は、一度三越にお問い合わせください。
他の八つは、尾張七福神(甚目寺町)、大府七福神(大府市)、高蔵福徳神(春日井市)、南知多七福神(南知多町など)、三河七福神(岡崎市など)、吉田七福神(豊橋市)、東海七福神(田原市など)、名古屋七福神です。

覚王山の七福神巡礼?!

最後の名古屋七福神は、最初にご紹介したなごや七福神とは別のものです。千種区城山新町の大竜寺(布袋)、千種区青柳町の法応寺(毘沙門天)を含む七寺で構成されています。明治時代には大変に賑わったそうですが、現在は忘れられています。大竜寺も法応寺も覚王山周辺です。この際、名古屋七福神を覚王山七福神として復興させたいものですね。覚王山周辺の寺社で七福神を祀ってあるところがあれば、是非、編集部までご教示ください。

三年目も頑張ります!

さて、弘法さんかわら版は来月号から三年目です。今後ともどうぞよろしくお願い致します。


第23話(2004年5月)

皆さんこんにちは。今月も弘法さんの日がやってきました。かわら版を受け取って頂いて本当にありがとうございます。

勝川の大弘法

先月のかわら版では石仏の話をお伝えしました。石仏の分類(神像、仏像、石造遺物)に従えば、弘法大師の石像は厳密には石仏ではありません。あくまで石像です。
ところで、かわら版第十六号で、三河地方に「子安弘法像」という大きな石像があることをご紹介しましたが、愛知県にはこの他にも大きな弘法大師像があります。
春日井市の勝川には、高さ十八メートルもある巨大な勝川大弘法があります。昭和三年に、地元の大地主、山口悦太郎という人物の寄進によって造られました。勝川大弘法はただ大きいだけではありません。弘法様の足元に祠(ほこら)があり、その中には千体の小さな弘法様が入っています。一見の価値ありです。お近くに行かれた際には是非ご覧ください。

福の神を巡る七福神巡り

さて、今年のかわら版は、日本最小の覚王山八十八カ所巡礼に因んで、石仏巡礼や七福神巡礼等、他の巡礼の種類をご紹介しています。
七福神とは、恵比須、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)、布袋(ほてい)の七神です。仏教に縁の深い神様もいますが、詳しいことは次号でお伝えします。
福の神を祀る寺社仏閣を巡る七福神巡りは、江戸時代中頃に盛んになりました。年末年始に行われることが多く、一日か二~三日で回ることができ、色紙一枚に七福神の御朱印を集めます。
東京隅田川べりの谷中(やなか)、京都の京洛都などの七福神巡りが有名ですが、愛知県内にもあるそうです。一度調べてみたいと思います。

六月十五日は「青葉祭り」

さて、来月十五日は弘法大師の誕生日です。弘法大師は奈良時代末期の七七四年、讃岐(香川県)で生まれました。真言宗総本山である高野山金剛峯寺では、この日に宗祖降誕会(しゅうそこうたんえ)が催されます。別名「青葉祭り」とも呼ばれています。この日は町の人たちが「大師音頭」を踊るなど、高野山全体が毎年大変な盛り上がりを見せるそうです。
かわら版第二十一号で、四月八日のお釈迦様の誕生日を「花祭り」と呼ぶことをお伝えしました。「青葉祭り」と「花祭り」、お忘れなく。
覚王山日泰寺の縁日は弘法大師が入定(=ご逝去)された日(三月二十一日)に因み、毎月二十一日です。はじめにご紹介した勝川大弘法の縁日は、弘法大師の誕生日に合わせて毎月十五日です(「月参り」と言います)。中でも、四月と十月はそれぞれ「春の大祭」「秋の大祭」と呼ばれ、大変な盛り上がりのようです。勝川駅前通商店街も大売出しをしますので、是非一度お出かけ下さい。

申し訳ありません

さて、お釈迦様の入定日と言えば御祥当です。「ごようとう」「ごしょうとう」、いずれの読み方が正しいのか、まだ結論が出ていません。宿題の解答はもう少々お待ち下さい。


第22話(2004年4月)

皆さんこんにちは。今月も弘法さんの日がやってきましたが、先月号でお伝えしましたとおり、今月は石仏について調べてみました。

石仏は三種類

このかわら版を読んでくださっている皆さん、まわりを見渡してみてください。石仏が目に入りませんか。ここ覚王山八十八カ所霊場の路傍には、たくさんの石仏が鎮座しています。
石仏には、神像系、仏像系、石造遺物の三種類があります。神像系は道祖神や水神の像のことです。仏像系は観音菩薩や地蔵菩薩です。石造遺物は狛犬(こまいぬ)や道標(みちしるべ)のことを指します。さて、回りの石仏はどの種類でしょうか。
神仏の姿をかたどったものを刻像塔、文字だけを刻み込んだものを文字塔とも言います。

石仏=お地蔵さまではありません

覚王山八十八カ所霊場に最も多いのは仏像系です。仏像系の石仏は、印相(いんぞう=手の形)や持ち物で何仏か見分けがつきます。
阿弥陀如来さまの印相は弥陀定印、大日如来は智拳印、釈迦如来は法界定印といった具合です。
石仏の代表格、お地蔵さま(正確には地蔵菩薩)は僧の顔をして錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうじゅ)を持っているのが一般的です。
お地蔵さまは、お釈迦さまの入滅後、弥勒菩薩が出現するまでの無仏の間、人々を救ってくれる救世主だと信じられています。六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の迷いの世界で地蔵菩薩が救ってくれることから六地蔵像が並んでいる風景もよく見かけます。
覚王山八十八カ所霊場をはじめとする全国の四国霊場の写し(新四国とも言います)では、石に刻まれたり石仏となった弘法大師像にも出会えます。さて、今日はいくつの弘法大師像を見つけることができましたか。

赤坂町の弘法堂

かわら版第五号でご紹介しましたように、名古屋周辺には、荒子、笠寺、竜泉寺、甚目寺の尾張四観音があります。覚王山はその四つを結ぶ四観音道が通っていますが、日泰寺の北に接する赤坂町には、笠寺から竜泉寺へ向かう四観音道の傍らに弘法堂があります。弘法堂には四体の石仏があり、一番大きなものが道標仏となっています。よく見ると、道標仏には「右・みなみかさでら道、左・坂を下って左へりゅうせんじ道」と刻まれていました。
日泰寺から歩くと少し遠いですが、散策がてらに弘法堂にお出かけになってみてはいかがでしょうか。

石仏巡礼

石仏を巡ることを石仏巡礼とも言います。まとまった石仏群に出会える霊場や寺院は全国各地にあります。愛知県内では、鳳来町の仏坂ふりくさ道という山道に石仏群があるそうです。鳳来町には弘法大師が発見したとされる赤引温泉もありますので、何か関係があるのかもしれません。ご存知の方がいらっしゃいましたら編集部まで是非お知らせください。

御祥当の読み方

先月号でお釈迦様の年命日である御祥当を「ごようとう」とご紹介したところ、「ごしょうとう」ではないかとのご指摘を頂戴しました。たしかに「ごしょうとう」が一般的のようですが、「ごようとう」との読み方もあるようです。しっかり調べて来月号でご報告させて頂きます。もう少々お待ちください。


第21話(2004年3月)

皆さん、こんにちは。3月も半ばを過ぎ、日差しも春めいてきましたね。3月21日は弘法大師の年命日で御祥当(ごようとう)と言います。正確に言えば旧暦ですので、新暦では今年は5月9日になります。御祥当の縁日は一年で一番賑わうと言われますが、さて、今日はいかがでしょうか。

縁日はお祭り、市?

ところで「今日は縁日がある」とよく言います。「縁日=お祭り、市」という意味合いですが、実はこの表現、厳密に考えると少し変です。縁日は仏教用語です。ひと月のうちの決まった日に、神仏や祖師(高僧など)の供養を行い、縁を結ぶ日というのが縁日です。有縁日(うえんび)、結縁日(けちえんび)とも言い、この日に参詣すれば特別に功徳があると言われています。縁日には人が集まることから、参道や境内に露店が出て賑わいます。したがって、「今日は弘法さんの縁日なので、露店が出る」というのが正確な表現です。

潅仏会=花祭り

さて、来月8日は潅仏会(かんぶつえ)と呼ばれる行事が行われます。これはお釈迦様の誕生日を祝う行事です。日泰寺では、毎年この日に仏舎利奉安塔がご開帳になります。
潅仏会は仏生会(ぶっしょうえ)、降誕会(ごうたんえ)、あるいは花祭りとも言われます。
潅仏会のことを花祭りと呼ぶのは、お釈迦様生誕がルンビニーという場所の花畑の中だったことに由来します。先月号で、インドにお釈迦様の足跡をたどる八大巡礼地があることをご紹介しました。ルンビニーはその第一巡礼地です。花畑には季節外れのアショーカ樹の花が咲いていたと伝えられています。

竜と釈迦と弘法大師

お釈迦様生誕の際、天から竜が現れて甘露(不老不死の霊液)や花々を降らせて沐浴させたという故事に因み、潅仏会は浴仏会(よくぶつえ)、竜華会(りゅうげえ)とも呼ばれます。潅仏会に誕生仏に甘茶をかける風習はこの故事から発生しました。
弘法大師にも同様の言い伝えがあります。渇水に苦しむ平安京で弘法大師が祈祷したところ、金色の竜が現れて雨を降らせたと言われています。

巡礼と遍路

さて、今年の弘法さんかわら版は、日本最小の覚王山八十八か所霊場に因んで巡礼にまつわる話をお伝えしています。インドの八大巡礼地をはじめ、海外ではスペインのサンティアゴ巡礼、国内では西国巡礼、秩父巡礼など、巡礼と名のつく聖跡巡りはたくさんありますが、遍路という言い方は四国遍路しかありません。遍路よりも巡礼の方が広い概念のようです。
これら高僧の聖跡を辿る祖師巡礼のほか、十三仏巡り、七福神巡り、石仏巡りといった種類があることは以前にもご紹介しました。次号では、石仏巡りについて調べてみたいと思います。

覚王山春祭り開催!

来る四月三日(土)と四日(日)に覚王山春祭りが開催されます。今回のテーマは「多国籍でいこう!」。世界のいろいろな国々の食物や衣装のお店がでるようです。どうぞご期待ください。


第20話(2004年2月)

皆さん、こんにちは。弘法さんかわら版も20号を迎えることができました。ご愛読、ありがとうございます。暦の上では立春を過ぎましたが、まだまだ寒い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。

山門両脇は仁王像?

さて、今日も日泰寺の山門を多くの方がくぐられたことと思います。ところで、山門の両脇の像をジックリとご覧になったことはありますか?
寺院の山門は「仁王門」と言われるものが多く、「仁王門」には仁王像=金剛力士像が置かれるのが一般的です。かわら版17号で、仏像には、①如来、②菩薩、③明王、④天部、⑤その他(高僧像など)の五種類あることをご紹介しました。金剛力士は天部に属し、仏法や寺院を護る守護神です。
弘法大師を開祖とする真言宗本山は高野山金剛峰寺です。金剛峰寺にも1705年建立の大門があり、両脇には金剛力士像が仁王立ちしています。
では、日泰寺山門の像は何でしょうか?

実は二人のお弟子さん

答えはお釈迦様のお弟子さんです。本堂に向かって左に迦葉尊者(かしょうそんじゃ)、右に阿難尊者(あなんそんじゃ)です。
お釈迦様が入滅された後の仏教の普及には、この二人のお弟子さんの功績がありました。
多くの弟子の中で最長老だった迦葉尊者は、お釈迦様の教えが勝手に解釈されることのないように、第一結集(だいいちけつじゅう)という会議を開き、議長として見事に教義をまとめました。このため、迦葉尊者は仏教の第二祖とも言われます。
一方、阿難尊者はお釈迦さまの従弟(いとこ)で、最も博識の人物であったと伝えられています。お釈迦さまの教えは口伝であったため、多くの弟子が阿難尊者から教義を学びました。そのため、阿難尊者は多聞第一(たもんだいいち)と呼ばれ尊敬を集めました。
日泰寺には本物の仏舎利(お釈迦様の骨)が祀られていますので、一番弟子の二人がお護りしているということでしょうか。

お釈迦さまの八大聖地巡礼

さて、今年のかわら版は、高僧の足跡を辿る祖師巡礼についてお伝えしています。ここ日泰寺周辺には弘法大師の聖跡の「写し」として、日本最小の八十八か所霊場があります。
インドにはお釈迦様の聖跡を巡る祖師巡礼もあり、八大聖地巡礼と言われています。聖地のひとつが入滅地であるクシナガラです。日泰寺に祀られている仏舎利は、1898年にクシナガラに近いピプラーワーで発見され、日本に分骨されたものです。
覚王山巡礼、四国巡礼の次は、八大聖地巡礼にも行ってみたいですね。

来月は御祥当

さて、来月の弘法さん、つまり3月21日は弘法大師の年命日であり、「御祥当(ごようとう)」と呼ばれています。お参りに来られる方も多く、日泰寺が一年で最も賑わう日です。年に一度の特別な日ですので、ぜひご近所やご友人とお誘い合わせのうえ、大勢の方にお出でいただけることを願っています。露店でたくさん買い物をしていただき、ついでにかわら版も是非お受け取りください。


第19話(2004年1月)

皆さん、明けましておめでとうございます。今日は「初弘法」です。そして「初かわら版」です。今年も少しでも皆様のお役に立つ話題をお届けしたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

祖師巡礼と「大師」号

各宗派の開祖を祖師と呼び、祖師の足跡をたどることを祖師巡礼と言います。
全国各地に多くの祖師巡礼があります。日本最小の覚王山八十八か所霊場巡りは、真言宗の祖師空海の聖跡巡りの「写し」です。
祖師にはそれぞれ諡号(しごう=没後の敬称)がつけられており、「大師」号もそのひとつです。
諡号は勝手に付けられるものではなく、没後に第三者が申請して為政者(主に朝廷)から授かるものです。「大師」号を授けられた祖師は25人または27人と言われています。最も古いのが伝教大師最澄、そして二番目に古いのが弘法大師空海です。最澄と空海は特に高名な六大師に含まれています。
「大師」のほかにも「国師」「聖人」「上人」「三蔵」「禅師」などの諡号があります。

観賢僧正とひげの伝説

空海の諡号授与には金剛峯寺と醍醐寺の座主を歴任した観賢僧正(かんげんそうじょう)という高僧が貢献しています。
観賢は空海入定(没)後86年目の921年(延喜21年)、醍醐天皇に対して空海に「大師」号を賜りたい旨の申請をしました。観賢の粘り強い交渉のおかげで空海は弘法大師と呼ばれるようになりました。
「大師」号が下賜された後、観賢は弟子の淳祐(しゅんにゅう)を伴って高野山の御廟を訪れました。弘法大師はまるで生きているかのように瞑想し、うっすらとひげがはえていたと伝えられています。

本覚大師と弘法大師

観賢は当初「本覚大師」という諡号を賜るよう要請していました。「覚」は釈迦を表す「覚王」の一字です。
しかし、醍醐天皇が決めた諡号は「仏法を世に広(弘)めた大師」という意味の弘法大師でした。「本覚大師」という諡号は、その後、弘法大師の京都の拠点であった東寺の後継者である益信和尚が賜りました。

覚王山日泰寺の涅槃会

今年も1年、覚王山日泰寺周辺の四季と史跡をお楽しみください。2月15日は釈迦入滅の日。日泰寺でも涅槃会(ねはんえ)が催されます。涅槃会は釈迦入滅の様子を描いた涅槃図をかけ、釈迦の最後の教えである遺教経(ゆいきょうぎょう)を唱えて遺徳を偲ぶ催しです。子供が参加して団子、餅、あられなどをもらう風習があります。
涅槃会が終わると日泰寺境内は桜やツツジの季節を迎え、4月8日は花祭りです。編集部一同も楽しみにしています。

今年も頑張ります(編集部) 

今年も「弘法さんかわら版」編集部は好奇心旺盛にいろんなお話をお届けできるように頑張ります。どうぞよろしくお願い致します。何か気になる情報やご疑問があれば、編集部までドシドシお問い合わせください。


第18話(2003年12月)

皆さん、こんにちは。今年最後の弘法さんかわら版です。早いもので今年も残りわずかとなりました。
先月24日まで愛知県美術館で「空海と高野山」展が開かれていました。編集部スタッフも見学してきましたが、弘法大師自筆の書や巨大な曼荼羅(まんだら)の見事さに圧倒されました。

守り本尊

来年の干支(えと)は申(さる)です。干支にはそれぞれ、開運や厄除けの守護仏である「守り本尊」が定められています。干支は方角を表すことから、「守り本尊」も方角ごとに決まっていることになります。因みに、申は西南西を示し、「守り本尊」は大日如来です。

弘法大師と大日如来

大日如来は弘法大師が開いた真言宗の総本尊、つまり最高仏です。「日(=太陽)のように大いに遍く照らす」という意味が込められおり、大宇宙の根源と考えられています。申年の弘法さんの縁日は、大日如来のご加護で賑わいを増すかもしれませんね。

仏像は五種類

ところで、方角は東西南北とそれぞれの間の八つあることから、「守り本尊」も八つです。種類としては菩薩が五つ、如来が二つ、明王が一つです。
実は仏像の種類は五つあります。菩薩、如来、明王のほかに、古代インドの民間信仰の神々をとりいれた天部という種類、および以上の四種類のいずれにも属さないその他のグループです。最後のグループには、実在した高僧の像も含まれます。
菩薩は大衆を救うお釈迦様、如来は悟りを開いたお釈迦様の化身、明王は悪と闘う天界からの使者です。見た目も違います。菩薩は宝冠を戴いた貴族の姿、如来は髪が盛り上がり一枚衣を半身にまとった姿、明王は激しく憤怒に満ちた表情で武器を携えています。
もっとも、大日如来は例外で、如来ですが菩薩の姿をしています。

覚王山の「守り本尊」

日本最小の覚王山八十八カ所霊場にも八体の「守り本尊」が鎮座されています。日泰寺本堂東側のB地区の一角で、八体並んで世の中を見守ってくださっています。山門からすぐそばですので、ご自分の干支の「守り本尊」にお参りされてはいかがでしょうか。
弘法大師の八十八カ所四国遍路、法然上人の二十五霊場巡り、親鸞聖人の二十四輩巡りなど、宗祖・高僧の聖跡を巡ることを祖師巡礼と言います。全国各地にその「写し」があり、覚王山は四国遍路の「写し」です。
巡礼には石仏巡りや七福神巡りというものもあります。来年の弘法さんかわら版では、そうした話題もご紹介したいと思います。乞うご期待。

除夜の鐘と大日如来

さて、いよいよ年末です。今年の煩悩を消すために日泰寺の除夜の鐘を突き、申年の平穏を願って大日如来にお参りしてください。
弘法さんかわら版も次号から三年目に入ります。来年も引続きご愛読のほど、よろしくお願い致します。


第17話(2003年11月)

皆さん、こんにちは。すっかり秋も深まり、朝晩は寒々としてきました。くれぐれもご自愛ください。

弘法大師のご利益

さて、先月、弘法さんかわら版をお配りしている時に、ある読者の方から「眼病快癒のご利益がある『目なおしのお札』のこと、知っとる?」と尋ねられました。
これまで、渇水を癒す「弘法水」(第13号)、安産子育て祈願の「子安弘法」(第16号)といった、数々の弘法大師のご利益を紹介してまいりましたが、まだまだ他にもあるようですね。早速、編集部で調べました。

道隆寺の目なおし薬師様

眼病治癒にまつわる弘法大師の偉業は、四国八十八カ所霊場の七十七番札所、桑多山道隆寺(そうださんどうりゅうじ)に言い伝えられています。
この寺のご本尊は、弘法大師が自ら彫った薬師如来像です。ある時、道隆寺を目の不自由な丸亀藩(香川県)士、京極左馬造が訪れ、薬師如来像に快癒を祈願したところ、たちどころに目が見えるようになったそうです。以来、この薬師如来像は「目なおし薬師様」と呼ばれ、今でも多くの方が眼病快癒を願って道隆寺を訪れます。
しかし、この薬師如来像がご開帳されるのはなんと五十年に一度だけ。なかなか貴重なご本尊ですね。

覚王山の「目なおし薬師様」

さて、日本最小の覚王山八十八カ所霊場の七十七番札所はどうなっているのか確かめてきました。日泰寺奉安塔の奥、F地区の一角に道隆寺があり、石造りの薬師如来様が二体並んで鎮座されていました。ちょっと遠いですが、眼がお疲れの皆様、お参りの際に足を伸ばされてはいかがでしょうか。
「目なおしのお札」については、参道の途中で配られていたという話は聞きましたが、それ以上のことはわかりませんでした。何かご存知の方がいらっしゃいましたら、是非編集部にご教示ください。

錫杖と独鈷

栃木県足利市富田には、眼病快癒のご利益のある井戸水があります。渇水に苦しむこの地を訪れた弘法大師が、持っていた杖(錫杖=しゃくじょう)で地面に突いて清水を湧かせ、その水に眼病治癒の願をかけられたそうです。「弘法水」と「目なおし」が結びついているんですね。
温泉や湧水にまつわる弘法大師伝説は、独鈷(とっこ)や錫杖で地面や岩を突いたというものが一般的です。県内でも、鳳来町に弘法大師が全国行脚の際に発見した赤引(あかひき)温泉があります。一度行ってみたいですね。

弘法大師は鉱物博士

水にまつわる数々の伝説は、弘法大師が鉱物学や地理学にも詳しかったことを示しています。鉱脈や水脈を発見する術に長けており、事実、四国八十八カ所霊場のほとんどは鉱物資源や水源の豊富な山に位置しています。
中世の高僧は、希代の文化人や学者であったようです。弘法大師の場合は鉱物博士ですね。


第16話(2003年10月)

皆さん、こんにちは。今月の12日から13日にかけて、「覚王山秋祭」が行われました。おでかけになりましたか。関係者の皆さん、お疲れさまでした。

安産・子育て祈願の子安大師

さて、弘法大師は実に様々な偉業(奇跡)を成し遂げたと伝えられています。このかわら版でも、焙烙灸(ほうろくきゅう)で病気を治したり、井戸水を掘り当てたというお話を紹介させていただきました。
ほかにも、子安(安産、子育て)の奇跡を起こしたと言われています。
ある時、弘法大師が伊予の国(愛媛県)の香園寺(こうおんじ)というお寺を訪ねたところ、ひとりの妊婦が難産に苦しんでいるのを見つけました。そこで、栴檀(せんだん)の木を焚いて祈祷したところ、無事に元気な男の子が生まれたと伝えられています。栴檀の木の皮は、古くから漢方薬や虫除け剤として使われていたようですが、どのような薬効があったのでしょうか。
以来、香園寺は第六十一番札所となり、山号も栴檀山とされました。大正時代には子安講ができ、安産、子育てにご利益があるとして女性の信仰を集めました。
子安の奇跡に因んで、弘法大師のことを子安弘法とか子安大師と呼ぶこともあります。

お地蔵さんの赤いよだれかけ

ところで、お地蔵さんと言えば赤いよだれかけですね。でも、なぜよだれかけを掛けているのでしょうか。
それはお地蔵さんが子どもを守るという役目を果たしているからです。
古来、お地蔵さんは村々の境にあり、人々が集まり、縁結びのきっかけになったと言われています。そうした由来から転じて子育ての象徴へと発展したそうです。そして、よだれかけを掛けるのは、お地蔵さんに子ども守ってもらうようお願いするためです。「この匂いがわが子のものです。どうぞよろしくお願いします」というわけですね。

覚王山の子安弘法

日本最小の覚王山八十八ヶ所霊場にも、もちろん香園寺があります。日泰寺本堂の東側、札所が密集するB地区の中です。子安弘法と彫られた石碑もしっかりと建っており、また付近にはたくさんのよだれかけが掛かっています。お子さんやお孫さんのために、ぜひ一度お参りしてください。

東洋一の子安大師像

東洋一大きな子安大師像は愛知県蒲郡市三谷にあります。全長六十二尺(17.78メートル)の像です。名古屋の熱心な信者さんが建立を発願し、昭和13年に完成したそうです。なぜ62尺かと言うと、弘法大師が62歳でご入定(他界)されたことに因むものです。

参道ミュージアム

11月3日まで覚王山商店街振興組合「街づくり委員会」主催の参道ミュージアムが開かれています。最も盛り上がるのは11月1日から3日までの3日間。数々の芸術作品の展示やミニ演劇が楽しめます。ぜひお出かけください。


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大塚耕平

  • 2002年から「弘法さんかわら版」を書き続けています。仏教に親しみ、仏教から学び、仏教を探訪しています。より良い社会を目指すうえで仏教の教えは大切です。「弘法さんかわら版」は覚王山日泰寺(名古屋市千種区)と弘法山遍照院(知立市)の弘法さんの縁日にお配りしています。縁日はお大師様の月命日に立ちます。覚王山は新暦の21日、知立は旧暦の21日です。
  • 著書に「お大師様の生涯と覚王山」(大法輪閣)、「仏教通史」(大法輪閣)など。全国先達会、東日本先達会、愛知県先達会、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念イベント(室戸市)、中日文化センターなどで講演をさせていただいています。毎年12月23日には覚王山で「弘法さんを語る会」を開催。ご要望があれば、全国どこでも喜んでお伺いします。
  • 1959年愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院博士課程修了(学術博士、専門はマクロ経済学)。日本銀行を経て、2001年から参議院議員。元内閣府副大臣、元厚生労働副大臣。現在、早稲田大学総合研究機構客員教授(2006年~)、藤田医科大学医学部客員教授(2016年~)を兼務しています。元中央大学大学院公共政策研究科客員教授(2005年~17年)。