弘法さんブログ

第48話(2006年6月)

皆さんこんにちは。梅雨の季節です。くれぐれもご自愛ください。

金剛力士と執金剛神

年初よりインド由来の仏像、天部をご紹介しています。今月はお寺の門でよく見かける仁王像についてです。
仁王の呼び名は人数によって異なります。二人いる場合は金剛力士(こんごうりきし)、一人だけの場合は執金剛神(しゅこんごうじん)と言います。
元はインドの武神ヴァジュラパーニ(金剛杵を持つ者の意)。手に持つ金剛杵は仏の教えが煩悩を打破する武器であることを象徴しています。そのため、別名金剛手や持金剛とも言います。
二人(金剛力士)の場合、左側が密迹金剛(みっしゃくこんごう)、右側が那羅延金剛(ならえんこんごう)です。

阿吽の呼吸

顔の表情も二種類。口を大きく開けて叫んでいるのが阿形(あぎょう)。真実の門を開いて真理に達する決意の表情。口を真一文字に閉じているのが吽形(うんぎょう)。地獄の門を閉じて罪悪を遮断することを示します。
二人の息がピッタリ合う様子を阿吽の呼吸と言いますが、これは金剛力士の阿形・吽形に由来。決まりはありませんが、右が阿形、左が吽形の場合が多いようです。仁王像が祀られたお寺の門は二天門、仁王門と呼ばれます。
阿(あ)と吽(うん)は密教の世界観に通じる語。全ての始まりと終わりを示します。日本語の五十音があで始まりんで終わるのは、このことと無関係ではないそうです。

弘法大師と金剛力士

お寺の守り神である金剛力士は千手観音菩薩の守護神でもあります。四月号でお釈迦様の八人の眷属(けんぞく=従者)である八部衆をご紹介しましたが、千手観音菩薩にはなんと二十八人の眷属、二十八部衆がいます。
千手観音菩薩のまわりには二十八部衆。その右端を密迹金剛、左端を那羅延金剛が守ります。
二十八部衆は曼荼羅の大成者、シルクロードの高僧、善無畏(ぜんむい)が作った千手観音造次第法儀軌という経典に記されています。これを弘法大師が中国から持ち帰り日本に広まりました。弘法大師がいなかったら仁王門もなかったかもしれません。

乱世を平定する執金剛神

二人の金剛力士が合体した執金剛神にまつわる乱世平定の伝説。平安時代、平将門(たいらのまさかど)が朝廷に反旗を翻して乱世となった折、時の天皇が執金剛神に将門征伐を祈願。すると執金剛神は大きな蜂となって将門を刺し、見事に乱を平定したそうです。その場所がおとなり岐阜県の荒尾(現在の大垣市)。かの地の御首(みくび)神社には将門の首を祀っているそうです。

日泰寺山門の像と財賀寺の像

ところで、日泰寺山門両脇の像は金剛力士ではありません。実はお釈迦様の二人のお弟子さん。左が迦葉尊者(かしょうそんじゃ)、右が阿難尊者(あなんそんじゃ)です。
愛知県で最も有名な金剛力士像は財賀寺(豊川市)の木像。なんと四メートル近くもあり、東大寺(奈良県)の像に次いで日本で二番目の大きさを誇ります。像を安置する仁王門とともに国の重要文化財。本堂にはご本尊の千手観音菩薩像とともに二十八部衆像も祀られています。

次回から、その他の仏像

菩薩編、如来編、明王編に続いてお送りしてきました天部編は今月で一区切り。来月からはこれらに属さないその他編です。乞うご期待。


第47話(2006年5月)

皆さんこんにちは。来月十五日は弘法大師の誕生日、新緑の季節に因んで青葉祭りと言います。

梵天なくして仏教なし

さて、年初より天部についてお伝えしているかわら版。天部は仏教に帰依したインドの神様です。今月は、天部の中の最高神、梵天です。梵とはサンスクリット語(インドの古い言語)で「偉大な」「神聖な」という意味です。
梵天はお釈迦様(釈尊)が仏教を広めるのに大きな役割を果たしました。
釈尊が悟りを開いた時、その内容があまりに深遠であるために、人々に広めることは難しいと考えたそうです。その様子を天上から見ていた梵天は「あなたがその悟りを人々に広めなければ世界は滅んでしまう」と根気よく釈尊を勧請(説得)しました。
梵天の勧請を聞き入れた釈尊が五人の弟子に初めて語った説法のことを初転法輪(しょてんほうりん)と呼びます。そして釈尊を含めた六人で最初の仏教教団が誕生しました。この一連の逸話は、梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と言う説話に記されています。

梵天と帝釈天は仏教守護の両雄

梵天は帝釈天と二体一対で祀られることが多く、両者を合わせて梵釈と呼びます。
一月号でご紹介しました京都東寺講堂の立体曼荼羅の配置をみると、梵天と帝釈天の重要性がよく分かります。
立体曼荼羅には、弘法大師の指導によって、五仏(五智如来)、五菩薩、五明王、四天王に、梵天と帝釈天を加えた二十一体の仏像が配置されています。
如来・菩薩・明王で表される密教世界の四隅を守るのが天部の四天王。東の持国天(じこくてん)、西の広目天(こうもくてん)、南の増長天(ぞうちょうてん)、北の多聞天(たもんてん)。これに、インド古代神話の創造主ブラフマンが元になった梵天(ぼんてん)と、戦闘神インドラが元になった帝釈天(たいしゃくてん)を加えた六尊が守りを固めています。強そうですね。
梵天は緩やかな衣服をまとい、手には鏡や香炉を持ちます。四面四臂(しめんしひ=顔が四つ、腕が四本)の像が多く、世界を見渡す最高神として世界全体に目配りしている姿を表します。 東寺梵天坐像は正面の顔の額に第三の眼を持ち、さらに千里眼を利かせます。梵釈が並んで立つ場合には、右に帝釈天、左に梵天が定位置です。

梵鐘の梵は梵天の梵

さて、お寺の釣鐘(つりがね)の正式名称は梵鐘(ぼんしょう)。梵鐘の梵は梵天の梵。神聖で偉大な鐘という意味です。
もちろん、覚王山日泰寺にも梵鐘があります。現在の梵鐘は二代目。初代は高さ四・五メートル、重さ七十五トンの大梵鐘でしたが、第二次世界大戦末期の金属供出でなくなってしまいました。残念ですね。
現在の梵鐘は、昭和五十九年、タイ国王ラーマ九世から日泰寺にタイの国宝釈迦如来像とタイ語で「釈迦牟尼佛」と書かれた勅額が贈られた記念に作られました。梵鐘の壁面には勅額を書き写した文字が記されています。是非一度ご覧ください。

次回は執金剛神

愛知県で最も有名な梵天像は瀧山寺(岡崎市)の梵天立像。四面四臂像で、やはり帝釈天立像と一対になっています。この梵釈立像を作ったのは鎌倉時代の有名な仏師(仏像の彫り師)である運慶。愛知県にも重要な仏教美術があるんですね。
さて、来月のかわら版では執金剛神についてお伝えします。とても力強い二人一組の像です。乞うご期待。


第46話(2006年4月)

皆さんこんにちは。今月はお釈迦様の誕生月。潅仏会(かんぶつえ=お釈迦様の誕生日の四月八日)は、今月の話題、八大龍王とも関係があります。

八大(代)龍王は八部衆

参道中ほどに、弘法大師の生誕から入定(六十二歳)までの像が祀られた歳弘法があります。その歳弘法の入口に鎮座しているのが八代龍王のおつげの石。表側には八代龍王、裏側には心念の二文字。黄色い座布団の上に鎮座しているおつげの石に悩みを相談すると、処し方のおつげがあると言われています。
八代龍王は八大龍王とも書き、お釈迦様の八つの眷属(けんぞく=従者)である八部衆のひとつ。八部衆はインド古来の異教の神であり、お釈迦様に諭されて仏教を護るようになりました。伝説の火の鳥迦楼羅(かるら)、先月号でご紹介しました夜叉(やしゃ)、天(てん)、乾闥婆(けんだつば)、緊那羅(きんなら)、摩睺羅迦(まごらか)、阿修羅(あしゅら)、龍(りゅう)の八つです。
八大龍王はこのうちの龍のこと。難陀(なんだ)、跋難陀(ばつなんだ)、沙伽羅(しゃから)、和修吉(わしょうきつ)、徳叉伽(とくさか)、阿那婆達羅(あなばたら)、摩那斯(まなす)、優婆羅(うばり)の八匹の龍からなる龍神です。

神仏一体の雨乞いの神様

龍は水中に住む架空の生物。インドでは雨を司る大蛇でしたが、中国、日本では龍となり、雨を降らせるご利益があると言われています。
八大龍王像(画)で有名なのは大阪孝恩寺、奈良法隆寺、そして弘法大師縁の和歌山金剛峯寺。左手に宝珠を盛った鉢を持つ金剛峰寺の善女龍王(画)は、弘法大師が雨乞い祈祷した際に現れたと伝えられています。
東海地方で有名なのは伊勢神宮の鬼門を守る朝熊岳金剛証寺の八大龍王社。弘法大師が修行のために入山したと言われています。
もともとインドの神であり、仏教の守護神でもあることから、神仏一体の信仰の対象となりました。

八大龍王は八岐大蛇?

大蛇、八匹の龍、神様、神宮と聞くと、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が思い浮かびます。素戔嗚尊=須佐之男命(スサノオノミコト)が退治した大蛇が八岐大蛇。その大蛇の尻尾から出てきたのが天の叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)。その剣は転じて三種の神器のひとつ草薙の剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がご当地、熱田神宮に祀りました。
八大龍王社を奉じる伊勢神宮に次ぐ格式の熱田神宮に八岐大蛇縁の草薙の剣があることを考えると、八大龍王と八岐大蛇には因縁があるような気がします。

潅仏会と甘露の水

ところで、お釈迦様が生まれた時に、八大龍王が現れて、甘露の水を口から注いで釈迦の身を清め、誕生を祝しました。その甘露の水は花びらとなって地上に降り注いだことから、潅仏会のことを花供(花まつり)とも言います。潅仏会の今月は、是非、八大龍王をお参りください。

歳弘法の大修復、次回は梵天

さて、八大龍王のおつげの石がある歳弘法。その歳弘法の弘法大師像の傷みが激しくなり、今年から大修復にかかります。歳弘法ではご尊像一体ごとに修復の施主となる奉賛会員を募集するそうです。新しいご尊像の台座には施主の名前が記され、弘法大師と同行二人を体現します。ご関心のある方は、歳弘法で詳細をお尋ねください。
来月号は、インドの神様である天部の中の最高神、梵天についてお伝えします。梵天は仏教の教えを広めるのに大きな功績を残しました。乞うご期待。


第45話(2006年3月)

皆さんこんにちは。今日は正御影供(しょうみえく)、弘法大師の年命日です。

四天王のリーダー、毘沙門天

昨年から仏像についてお伝えしていますかわら版。今月は天部(インド由来の仏像)編の三回目です。
先月号では帝釈天の四人の忠臣、四天王をご紹介しました。帝釈天の住む須弥山(しゅみせん)の東西南北の方角をそれぞれ守っている持国天・広目天・増長天・多聞天。その中で、多聞天だけは単独で信仰され、毘沙門天(びしゃもんてん)とも呼ばれます。
他の三者は一つの方角だけを守るのに対し、毘沙門天は北だけでなく、東西南の方角も守っています。

一人三役の毘沙門天

多聞天は仏の教えを多く聞いている知恵者として、毘沙門天は勝負事にご利益がある武闘神として知られています。甲冑をまとった武人の姿をしており、戦国武将の信仰を集めました。
戦国武将と言えば上杉謙信。謙信は自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じ、上杉軍の旗に「毘」と記しました。敵が恐れをなす軍旗でした。
毘沙門天には七福神としての顔もあります。七福神と言えば、大黒天、恵比寿、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋、そして毘沙門天。七福神としての毘沙門天は財宝を司る神様として古くから庶民の信仰の対象です。
毘沙門天は一人三役の人気者、大忙しですね。

毘沙門天の妻、吉祥天

四国八十八箇所霊場の中で、唯一天部の仏像をご本尊としているのは第六十三番札所、密教山吉祥寺。弘法大師が当地の人々の貧苦を救うために毘沙門天像を刻んで祀りました。脇士には同じく天部の吉祥天(きちじょうてん)。毘沙門天の妻とも言われており、寺号になっています。女性の姿をした天部で、繁盛や幸運を司ります。

覚王山の吉祥寺と毘沙門天

さて、日本最小の四国霊場の「写し」、覚王山八十八箇所霊場の吉祥寺は日泰寺奉安塔の奥、E地区にあります。
覚王山霊場の周辺には古寺、名刹がたくさんありますが、毘沙門天をご本尊としているお寺はありません。もっとも、広小路を挟んで日泰寺の反対側にある松林寺には、ご本尊の薬師如来のほかに、毘沙門天が祀ってあります。
天部、七福神の仲間も祀られています。C地区の南にある台観寺には、弘法大師作の大黒天。台観寺の秋の大黒祭は多くの人で賑わいます。
織田信長の父、織田信秀の菩提寺として有名な桃巌寺(本山交差点そば)には弁財天。信秀が弁財天の熱心な信仰者だったそうです。
全国の七福神巡りの中でも人気の高いなごや七福神。毘沙門天は中区錦の福生院にあります。

夜叉は毘沙門天の従者「夜叉」

毘沙門天の眷属(けんぞく=従者)である夜叉(やしゃ)のこともご紹介しておきます。空中を飛び回る凶暴な鬼であった夜叉は、お釈迦様に諭されて仏教に帰依し、毘沙門天の従者となりました。
因みに、尾崎紅葉の有名な小説「金色夜叉」の夜叉も、この夜叉です。婚約者に裏切られた主人公が金の亡者となるストーリーから「金色夜叉」というタイトルが生まれました。
夜叉のように、お釈迦様に諭されて仏教を守る八つの眷属を八部衆と呼びます。第四十号でご紹介しました不動明王が背負う伝説の火の鳥、迦楼羅(かるら)も八部衆です。

次回は八代龍王

来月号ではその八部衆についてお伝えします。八部衆のひとつ、八代龍王は参道沿いの歳弘法の「お告げのお石」に関係があります。乞うご期待。


第44話(2006年2月)

皆さんこんにちは。立春を過ぎましたがまだまだ寒い日が続きます。風邪などひかないようにご自愛ください。

帝釈天の四人の忠臣

かわら版の先月号では天部のひとつ、帝釈天についてお伝えしました。今月は帝釈天の四人の忠臣で方位の守護神、四天王をご紹介します。
帝釈天の住む須弥山(しゅみせん)の東西南北の門を護るのが四天王です。
東には持国天(じこくてん)。「国を支える者」という意味で、頭には兜、右手には長い宝剣を持ちます。
西には広目天(こうもくてん)。浄天眼(じょうてんげん=千里眼)で世界の全ての出来事を見届けて書き記すために巻物と筆を携えます。
南には生命力を司る神、増長天(ぞうちょうてん)。口を大きく開けて叫ぶ忿怒相、右手には長い槍。生きものを護り育てます。
北には多聞天(たもんてん)。仏の教えをたくさん聞いている知恵者です。右手には仏舎利(お釈迦様の骨)を収めた宝塔を持っています。
多聞天は別名毘沙門天。こちらの呼び名の方が有名かもしれません。毘沙門天は日本では単独でも信仰を集め、七福神のひとつでもあります。
お寺の本尊を安置する場所が須弥壇(しゅみだん)。これは須弥山に由来します。だから、本尊の四方に四天王が配置されるのですね。

四天王寺、東寺、川崎大師

四天王といえば、大阪の四天王寺が思い浮かびます。聖徳太子が中国から伝来したばかりの仏教を広めるために建てたお寺です。もちろん四天王像が祀られています。
弘法大師縁(ゆかり)の京都東寺には国宝木造四天王立像。
東寺の立像をまねて作られたのが川崎大師(神奈川県)大山門の四天王像。川崎大師は全国指折りの初詣の名所。正式には金剛山平間寺(へいけんじ)と言い、関東三大師のひとつです。

覚王山にも川崎大師

覚王山にも四天王像を祀った川崎大師があります。覚王山から池下方面に下った左手(広小路南側)、川崎大師御分身の光明寺です。
日泰寺山門の立像は四天王ではなく、お釈迦様のお弟子さん。本堂に向かって左が迦葉尊者(かしょうそんじゃ)、右が阿難尊者(あなんそんじゃ)。詳しくはかわら版第二十号(平成十六年二月号)をご参照ください。

織田信長の四天王

ライバルや有力者のことを四天王と言います。日泰寺の東には織田信長の厳父、織田信秀の居城末森城跡(現在は城山神社)があります。織田信長の四天王は柴田勝家、滝川一益、丹羽長秀、明智光秀。このうちの滝川家菩提寺が覚王山八十八箇所霊場のC地区にある大林寺。名古屋城築城の余材で建立された由緒正しいお寺です。

天邪鬼を撃退する四天王

四天王が足元で踏んでいるのは天邪鬼(あまのじゃく)。人の心に棲みつく煩悩の象徴であり、四天王がこれを撃退します。人の意見に何でも反対したり、周囲に迷惑をかけることをあまのじゃくと言いますが、四天王に由来する言葉とは知りませんでした。

次回は毘沙門天

さて、来月二十一日は正御影供(しょうみえく)、弘法大師の年命日です。次回は四天王の中心、多聞天こと毘沙門天についてお伝えします。織田信長と同じ時代を生きた有名な戦国武将とのご縁についてもご紹介します。乞うご期待。


第43話(2006年1月)

皆さんこんにちは。明けましておめでとうございます。かわら版も足かけ五年目に入りました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

天部はインドの神様

さて、昨年来、かわら版では仏像について勉強しています。仏像は大きく四つに分類され、昨年は如来・菩薩・明王についてお伝えしました。今月からは天部編です。
天部の「天」は天竺(てんじく)の「天」、インドのことです。つまり、天部は仏教が興るよりもはるか昔からインドに伝わる神様をモデルにしています。だから独特の姿をしているんですね。
今月号では帝釈天(たいしゃくてん)について調べてみました。

寅さんでお馴染みの帝釈天

帝釈天と聞けば、葛飾柴又帝釈天。そう、皆さんお馴染みのフーテンの寅さん。映画「男はつらいよ」シリーズで「生まれは葛飾柴又。帝釈天で産湯を使い・・・」という口上が頭に浮かびますね。柴又帝釈天は正式には経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)と言い、日蓮上人作の帝釈天板仏をご本尊にしています。
帝釈天は武術の神様で、金剛杵(こんごうしょ)を武器に阿修羅と戦い、阿修羅を仏教に帰依させました。古代インドでは宇宙の中心とされる須弥山(しゅみせん)の山頂にある善見城(喜見城)に住み、四天王を従えて下界の不正や悪事を監視しています。また、雨を降らせて豊かな農作物をもたらす雷霆神(らいていしん)としても知られています。

東寺講堂の立体曼荼羅

全国各地にある帝釈天像の中でも、最も有名なのは京都東寺の国宝帝釈天像。東寺は弘法大師が嵯峨天皇から下賜された布教の拠点です。鎧(よろい)をまとい、手には阿修羅を倒した金剛杵。白い象の上に乗っためずらしい坐像です。後世に作られた坐像には、頭が複数ある鵞鳥(がちょう)の上に乗ったものもあります。
東寺を下賜された弘法大師は、真っ先に講堂を造りました。この構造の中に配置された仏像群は立体曼荼羅と言われています。人々が曼荼羅の世界、仏の階位を理解し易いように弘法大師が発案したものです。なるほど、如来・菩薩・明王、そして天部の関係がよく分かりますね。

東寺と言えば弘法さんのルーツ

全国各地の弘法さんの縁日は、弘法大師の月命日に開かれています。そして、そのルーツ(始まり)は東寺で始まった弘法市です。弘法大師信仰が篤くなった平安時代に、東寺南大門の前に一服一銭という茶店ができたことがきっかけだと言われています。
当初は三月二十一日の年命日(正御影供=しょうみえく)だけに行われていましたが、十三世紀頃から月命日にも行われるようになりました。江戸時代から明治時代にかけて、弘法大師縁(ゆかり)のお寺や、四国霊場の写しでも縁日が広がっていきました。
明治三十七年創建の日泰寺。大正時代になると、周辺に日本最小の四国霊場の写しが造られ、弘法さんの縁日も開かれるようになりました。
次回は四天王

ライバル同士の四人の関係を「四天王」と表現することがあります。この四天王、実は帝釈天が従えている天部の仏様のことです。来月号は四天王についてお伝えします。乞うご期待。


第42話(2005年12月)

皆さんこんにちは。早いもので今年も残すところあと十日あまり。一年間、かわら版をご愛読頂きましてありがとうございました。今年の締めくくりに、今回は、孔雀明王(くじゃくみょうおう)についてお伝えいたします。

三毒を取り除く

この明王、その名のとおり、孔雀に乗っているのが最大の特徴です。お釈迦さまの故郷、インドでは、昔からコブラなどの毒蛇が多く、大いに恐れられていました。孔雀はその毒蛇の天敵であり、毒蛇や害虫を喰べる益鳥として大切にされてきました。
そうした孔雀の特徴に因んで、孔雀明王には、人間の持つ貪り、嗔り(いかり)、痴行の三毒を喰らって、煩悩を取り除く功徳があるという信仰が生まれました。
また、孔雀は雨期の到来を告げる鳥、慈雨(じう)をもたらすありがたい鳥とされ、インドの国鳥でもあります。このため、孔雀明王は雨乞いの御利益があると信じられています。

優しく、女性的な表情

前号までにお伝えしましたように、明王と言えば怒りに満ちた恐~い顔、忿怒相(ふんぬそう)が本来の特徴です。
ところが、孔雀明王は、明王の中で唯一、柔和で女性的な表情をしています。そのため、孔雀仏母、孔雀王母菩薩とも呼ばれます。
一面四臂(顔が一つ、腕が四本)のお姿で、四本の腕にそれぞれ倶縁果(ぐえんか)、吉祥果(きっしょうか)、蓮華、孔雀の羽を持っています。倶縁果は気力と体力を高める伝説上の柑橘系の果物。吉祥果は、魔除けに効果があるザクロの実のことです。

孔雀明王とお稲荷さんがご一緒

さて、残念ながら、四国八十八箇所霊場に孔雀明王をご本尊とする札所はありません。
しかし、第四十一番札所の稲荷山龍光寺(いなりざんりゅうこうじ)は、ご本尊(十一面観世音菩薩)の脇侍のひとつとして孔雀明王が祀られています(もうひとつの脇侍は毘沙門天)。
「え、お寺なのに稲荷山?」と思われた方がいらっしゃるかもしれませんね。実は、龍光寺は四国八十八箇所霊場の中で唯一神様と仏様が同居している札所です。
この地を訪れた弘法大師の前に稲穂を背負った老人が現れ、「仏法を守護し諸民に利益せん」と言い残し姿を消したそうです。大師はこの老人こそ五穀豊穣をもたらす稲荷明神であると確信してその尊像をつくり、神仏習合の珍しい札所が誕生しました。

覚王山と一宮にも龍光寺

日本最小の覚王山八十八ヶ所霊場にも、もちろん第四十一番札所、龍光寺の写しがあります。場所は市立商業高校の脇のD地区。一度のお参りで神仏の両方のご加護があるかもしれません。是非お出掛けください。
一宮市にも神仏習合の龍光寺というお寺があります。ご本尊はやはり十一面観世音菩薩。愛知県指定文化財にもなっております。

年明けは天部編

今年の干支(えと)は酉(とり)。酉年の守り本尊は十月号でお伝えした不動明王でしたが、戌(いぬ)年の来年は長寿にご利益がある阿弥陀如来に選手交代。
今年は、年初より仏像をテーマとして、菩薩、如来、明王のお話をお伝えしてきました。年明けからは天部編。をお送りします。インド(天竺)に起源のある天部には、個性豊かな仏像が目白押しです。乞うご期待。
来年もご愛読のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。それでは良いお年をお迎えください。


第41話(2005年11月)

皆さんこんにちは。季節は晩秋、すっかり肌寒くなりました。くれぐれもご自愛ください。

愛染明王は良縁、家庭円満の仏

さて、今年は仏像についてお伝えしているかわら版。今月は愛染明王(あいぜんみょうおう)です。
愛染明王は、弘法大師が中国から持ち帰った「瑜祇経(ゆぎきょう)」という経典によって初めて日本に伝わりました。
人間は生きている限りずっと欲、煩悩(ぼんのう)を持ち続けます。煩悩を捨て去ることが悟りの境地ですが、簡単なことではありません。
しかし、その一方で煩悩は人間のエネルギーでもあります。煩悩をより深く考え、生きる意欲に転換する方向に導いてくれるのが愛染明王です。
愛染という名前のとおり、愛情・情欲をつかさどり、煩悩即菩提を象徴しています。
愛染という字から、鎌倉時代以降、良縁、家庭円満を成就する仏として特に女性の信仰を集めました。愛染を訓読みにすると「あいぞめ」。これは「逢い初め」に通じます。さらに「あいぞめ」を「藍染」と解釈し、織物業の守護仏としても信仰されています。

愛染かつら

愛染明王と聞いて、映画「愛染かつら」(昭和十三年、田中絹代・上原謙主演)を思い出す方も多いでしょう。
「花も嵐も踏み越えて、行くが男の 生きる途、泣いてくれるなほろほろ鳥よ、月の比叡を独り行く」は、年配の皆様はよくご存じの西條八十作詞、万城目正作曲、「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」。当時としては驚きのレコード売上げ百二十万枚を記録しました。
「愛染かつら」は、愛染明王を本尊とする自性院(東京谷中)境内にあった桂の古木にヒントを得た作品です。 病院の御曹司と看護婦の大メロドラマ。二人が「愛染かつら」と呼ばれる樹に手を添えて愛を誓うシーンからタイトルが生まれました。

愛染明王の赤いお姿

愛染明王のルーツ(起源)は古代インドの愛と太陽の神様ラーガ。したがって、愛染明王は赤いお姿が特徴です。
容貌は一面三目六臂、つまり顔は一つ、目は三つ、腕は六本。三本の右手には五鈷杵(ごこしょ)・矢・蓮華、三本の左手には金鈴・弓と握りこぶしを握っています。五鈷杵と金鈴は無病息災を祈る法具、弓と矢は良縁を射る道具。蓮華は女性の優しさ、握りこぶしは男性の力強さを表現しています。蓮華は宝瓶(ほうびょう)と呼ばれ台座にも彫り込まれています。
表情は先月号でお伝えした不動明王と同じ忿怒相(ふんぬそう=怒った表情)。頭の上には獅子の冠。これらはどんな困難にも屈しない意思を象徴しています。

四観曼荼羅八十八ヵ所霊場

四国八十八ヵ所霊場には愛染明王を本尊にした札所はありません。しかし、平成元年に元祖霊場に含まれない寺社が集まって新しく誕生した四国曼荼羅八十八ヵ所霊場の七十一番札所、速成山報恩寺(徳島県)の本尊が愛染明王。この霊場は地、水、火、風、空の五大道場を配し、徳島、香川、愛媛、高知を一巡する新しい霊場です。
愛知県内では赤岩寺(豊橋市)。国の重要文化財にもなっている愛染明王坐像が本尊になっています。
かわら版第五号と第二十二号でもご紹介しました荒子・笠寺・竜泉寺・甚目寺の尾張四観音を結ぶ日泰寺参道西側の四観音道。四観音のひとつ、甚目寺観音にも愛染明王が祀られています。

次回は孔雀明王

さて、来月号は孔雀明王(くじゃくみょうおう)についてお伝えします。明王には珍しく、優しい表情の仏像です。


第40話(2005年10月)

皆さんこんにちは。今年もあとふた月あまり。早いですね。だんだん寒くなります。くれぐれもご自愛ください。

覚王山の鯖大師

日本最小の四国霊場の「写し」、覚王山八十八ヶ所霊場。一番多くの札所がひしめく日泰寺境内東側階段下のB地区に右手に鯖を持った弘法大師像があります。前から気になっていましたので、由来を調べてみました。

別格二十霊場と鯖大師

四国霊場には八十八ヶ所以外に四国別格二十霊場があることをご存知でしょうか。八十八ヶ所と合計して百八つの煩悩を消すためという趣旨で、弘法大師に縁のある番外の二十のお寺によって三十九年前に創設されました。実は、この別格第四番札所の八坂寺(徳島県海南町)に鯖大師が祀られています。
寺近くの法生島で、弘法大師が通りすがりの馬子が持っていた塩鯖を所望しました。馬子は見知らぬ僧を罵り立ち去ろうとすると、引いていた馬が急に苦しみ出しました。馬子は僧が弘法大師と気づき、塩鯖を献上。大師は塩鯖に加持祈祷して海に投げこむと、鯖は生き返って泳ぎだし、馬の病もたちどころに治ったという逸話です。仏心に目覚めた馬子がこの地に庵を造り、鯖を三年間断って祈祷すると病が治るという鯖断ち三年祈願という信仰が生まれました。

如来の教えに導く明王

さて、別名鯖大師本坊と呼ばれる八坂寺には不動明王が祀られ、多くの参拝者の信仰を集めています。
今年の弘法さんかわら版は仏像の話題をお伝えしています。今月はこの明王について勉強してみました。
明王の特徴は何と言っても怒った顔。この表情は、忿怒相(ふんぬそう)と言います。
明王の役割は悩める衆生(しゅじょう)を恐ろしい姿で威嚇して力づくで仏(如来)の教えに導くこと。だから恐い顔をしています。忿怒相は子供を慈しんで厳しく叱る父親の顔を表現したものとも言われています。明王の形相には人々への慈しみと救いの情が込められているのです。
また、顔がたくさんあり(多面)、眼も複数(多眼)、手足も何本もある(多臂多足)のが特徴です。
仏像には千手観音のように多数の顔と腕を持つものが多く、これを○面○臂(○めん○ひ)と言います。千手観音は二十七面四十二臂。スゴイですね。大活躍する人を表す八面六臂という言葉はここからきています。

明王の中心はお不動さん

明王もいろいろ。五大明王、八大明王、十大明王などと言われます。その中心は八坂寺にも祀られる不動明王。
不動明王は普通一面二臂ですが、三面六臂の像もあります。
明王は持物や装飾をたくさん身につけています。不動明王も、右手には魔を払い衆生の煩悩を断つ三鈷剣(さんこけん)。左手には煩悩から抜け出せない衆生を救い上げる羂索(けんじゃく)という投げ縄。背中には衆生の煩悩を焼き尽くす火炎、迦楼羅焔(かるらえん)。迦楼羅(かるら)とは毒を喰らう伝説の火の鳥、ガルーダのこと。不動明王は迦楼羅が羽根を広げた姿を表現しています。

★次回は愛染明王

鯖大師の祀られているB地区には、四国別格二十霊場(番外札所)の「写し」もあります。各札所のご本尊像を集めたお堂がありますので、鯖大師とあわせて、是非一度お参りください。
来月号では愛染明王(あいぜんみょうおう)についてお伝えいたします。乞うご期待。


第39話(2005年9月)

皆さんこんにちは。今年もあと三ヶ月足らず。早いものですね。今月は阿弥陀如来についてお伝えします。

光と長寿の阿弥陀如来

阿弥陀如来は、修行時代、法蔵比丘(ほうぞうびく)、法蔵菩薩と呼ばれていました。人々を極楽浄土に導くことで知られています。
阿弥陀は、「限りない」という意味の「アミタ」というサンスクリット語(インドの言葉)に由来します。限りなく世界を光り照らす如来という意味で無量光如来、あるいは尽十方無碍光仏(じんじっぽうむげこうぶつ)、さらには長寿にもご利益があることから無量寿如来とも呼ばれます。

他力本願

無量寿経というお経の中に、法蔵菩薩が四十八の願を立て、それが達成されなければ仏(如来)にならないと誓ったと書かれています。十八番目の願は衆生を救うことでした。法蔵菩薩が仏になったことから、この願は達成されている、つまり衆生は救われていることになります。この解釈から、阿弥陀如来信仰が誕生しました。
南無阿弥陀仏と唱えれば阿弥陀如来に救われること、これが他力本願です。救ってもらいたいから唱えるのではなく、救われていることに感謝の気持ちを込めて唱えるのだそうです。

九品来迎印

阿弥陀如来が極楽浄土から人をお迎えに来られる際には、生前の振る舞いの善し悪しや信仰心の深さによって、その人にふさわしい九種類の印、すなわち九品来迎印(くぽんらいごういん)を表します。両手をおなかの前で合わせる上品(じょうぼん)、両手とも上に向ける中品(ちゅうぼん)、右手を上に、左手を下に向ける下品(げぼん)。それぞれの品はさらに上生(じょうしょう)・中生(ちゅうしょう)・下生(げしょう)に分かれ、都合九種類です。最も評価が高いのが上品上生、最も低いのが下品下生となります。
日頃から善行に努めたいものですね。

アミダくじは阿弥陀如来の後光

さて、皆さんよくご存じのアミダくじは阿弥陀如来に由来します。阿弥陀如来のお顔を中心に放射状に伸びる線光背と言われる後光を見たあるお寺のお坊さんが、これをくじに使おうと思いついたのが始まりだそうです。

第二番札所日照山極楽寺

四国霊場で阿弥陀如来をご本尊としている札所は九箇所。そのうち、第二番札所は阿弥陀如来の後光と深いご縁があります。この地で修行した弘法大師が阿弥陀如来像を納めました。ところが、この札所に面する鳴門海峡は鳴門の浮き鯛で有名な豊かな漁場。阿弥陀如来像の後光があまりに眩しく、魚が寄りつかなくなりました。困った漁民たちが札所の前に小高い丘を築いて光を遮ると、再び豊漁になったそうです。以来、この札所は日照山極楽寺と呼ばれるようになりました。

覚王山の極楽寺

日本最小の四国霊場の「写し」、覚王山八十八箇所霊場の極楽寺は山門を出てすぐ左側のA地区にあります。残念ながらお堂は失われており、今では石造りの仏像を残すのみです。
山門に近いA地区は毎月大変賑わう場所です。付近には千体地蔵堂や番外札所もあります。お参りの際にぜひお立ち寄りください。

★次回からは明王編

さて、来月からは明王編。明王はとても怖いお姿ですが、魔を追い払うご利益があるそうです。乞うご期待。


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大塚耕平

  • 2002年から「弘法さんかわら版」を書き続けています。仏教に親しみ、仏教から学び、仏教を探訪しています。より良い社会を目指すうえで仏教の教えは大切です。「弘法さんかわら版」は覚王山日泰寺(名古屋市千種区)と弘法山遍照院(知立市)の弘法さんの縁日にお配りしています。縁日はお大師様の月命日に立ちます。覚王山は新暦の21日、知立は旧暦の21日です。
  • 著書に「お大師様の生涯と覚王山」(大法輪閣)、「仏教通史」(大法輪閣)など。全国先達会、東日本先達会、愛知県先達会、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念イベント(室戸市)、中日文化センターなどで講演をさせていただいています。毎年12月23日には覚王山で「弘法さんを語る会」を開催。ご要望があれば、全国どこでも喜んでお伺いします。
  • 1959年愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院博士課程修了(学術博士、専門はマクロ経済学)。日本銀行を経て、2001年から参議院議員。元内閣府副大臣、元厚生労働副大臣。現在、早稲田大学総合研究機構客員教授(2006年~)、藤田医科大学医学部客員教授(2016年~)を兼務しています。元中央大学大学院公共政策研究科客員教授(2005年~17年)。