弘法さんブログ

第38話(2005年8月)

皆さんこんにちは。六月から如来をご紹介しております弘法さんかわら版。今月は薬師如来についてお伝えします。

応病与薬の薬師如来

薬師というのは「医者の長」という意味であり、薬師如来は別名医王如来と言います。如来は物を手に持たないのが一般的ですが、薬師如来は例外。左手に薬壺(やっこ)を持っています。
薬壺は応病与薬という仏教の教えを象徴しています。医者が病に苦しむ人に薬を与えるように、仏は悩める衆生(しゅじょう)に教えを説いて救います。しかも、病気の種類にあった薬を処方するように、ひとり一人の個性にあった教えを授けます。これを対機説法あるいは随機説法と言います。

十二の大願と偏袒右肩

薬師如来像のもう一つの特徴は衲衣(のうえ=衣服)から右肩を出している姿です。偏袒右肩(へんだんうけん)と言い、薬師如来の十二の大願と関係があります。
薬師如来が修業中の身(つまり菩薩)だった頃、修行が成就して如来になることができたら、十二の人助けを行う誓いを立てました。飢えた人に食べ物を与える、着る物のない人に衣服を与えるといった現世利益を中心とした人助けであり、偏袒右肩の姿には「いつでもご用を伺います」という意味があるそうです。
とりわけ、病気を治す、寿命をのばすことは万人の願いであり、その象徴として薬壺をもつ薬師如来像が盛んに作られて信仰されました。

浄瑠璃世界の仏

東西南北の仏国土(ぶっこくど)には四方仏(しほうぶつ)がいらっしゃいます。西は阿弥陀如来、南は釈迦如来、北は弥勒仏、そして東は薬師如来です。東は浄瑠璃(じょうるり)世界と言われることから、薬師如来の正式な名前も薬師瑠璃光如来と言います。
薬師如来には脇侍(わきじ)として日光菩薩、月光菩薩、守護神として十二神将が仕え、薬師如来を信仰する人々を昼夜を分かたず救ってくれます。

十八番札所恩山寺

薬師如来は四国霊場の中で最も多いご本尊。二十一箇所もあります。そのひとつ、第十八番札所で修行中だった弘法大師のもとを、ある時、お母様が訪ねてきました。しかし、お寺は女人禁制。そこで大師は女人解禁の秘法を修めてお母様を寺にお招きしました。以来、この札所は母養山恩山寺(ぼようざんおんざんじ)と呼ばれるようになり、このお寺で出家した大師のお母様の髪の毛が納められています。

覚王山の恩山寺

日本最小の四国霊場の「写し」、ここ覚王山八十八箇所霊場の恩山寺は多くの札所がひしめくB地区にあり、高野山安養院(あんにょういん)から取り寄せた弘法大師御尊像が祀られています。安養院は高野山の宿坊で、古くは戦国武将の毛利元就一族が菩提所としていました。
過日、札所のお接待さんにお話を伺ったところ、「親やご先祖を大切にすることが一番」とのお言葉を頂戴し、恩山寺の縁起話に通じる教えを賜りました。合掌。
覚王山の恩山寺は、日泰寺本堂東側の階段を下りて左に入ったところにあります。本堂参拝の帰りに立ち寄られてはいかがでしょうか。

如来編の最後は阿弥陀如来

さて、来月は如来編の最終回。阿弥陀如来をご紹介します。人々を極楽浄土に導くありがたい如来です。十月号からは明王編です。乞うご期待。


第37話(2005年7月)

皆さんこんにちは。夏本番になりました。健康にはくれぐれもご自愛ください。
仏像をテーマにお送りしている今年のかわら版。今月は如来編の第二回、釈迦如来についてお伝えします。

釈迦の五印

釈迦如来は悟りを開かれた後のお釈迦さまのことです。お釈迦さまの本名はゴータマ・シッダールタ。インドのシャークヤ(=釈迦)国の王子でしたが、ある時人生に無常を感じて出家しました。実在の人物です。出家したので、衲衣(のうえ=衣服)だけを身にまとった簡素な姿です。釈迦如来像を他の仏像と見分けるには、両手の印相(いんぞう=手の形)にご注目ください。手のひらを開いて見せている姿が一般的ですが、右手の形は施無畏印(せむいいん)と言って、煩悩に対して畏れがないことを表しています。左手は与願印(よがいん)。人々に慈悲を与えていることを表しています。
他に三種類の印があります。禅定印(ぜんじょういん)はお釈迦さまが悟りを開かれた時の姿。座禅でお馴染みの右手を左手の上に乗せて親指を合わせるポーズです。説法印(せっぽういん)はお釈迦さまが弟子に教えを説く姿。親指と人差し指で輪をつくります。降魔印(こうまいん)は人差し指を下に伸ばし、魔を追い払います。これらの五つを釈迦の五印と言います。

お盆は目連の母想いから

さて、もうすぐお盆。皆様のお宅でも、迎え火を焚いたり、提灯を灯してご先祖様をお迎えするのではないでしょうか。
お盆の風習も釈迦如来と深い関係があります。お盆は正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)と言い、盂蘭盆経というお経の中に出てくるお釈迦さま弟子、目連(もくれん)の説話に由来しています。地獄で苦しむ母を見かねた目連は、大勢の僧を招いてご馳走を振舞い、手厚い供養を行ったことで母を地獄から救い出し、極楽浄土に送ることができました。
この説話から、ご先祖様を家に迎えて極楽浄土に送り返す盂蘭盆会が始まったと伝えられています。

一番札所霊山寺

四国八十八箇所霊場の一番札所は釈迦如来がご本尊です。ご存知でしたか。阿波国(徳島県)で修行中の弘法大師のもとに、ある時、釈迦如来が現れたことから、弘法大師はその地にお寺を建立し、釈迦如来像を彫って祀りました。弘法大師は、このお寺をインド(天竺=てんじく)と日本(和)の字を重ねて竺和山霊山寺(じくわざんりょうぜんじ)と名づけ、後に一番札所となりました。
霊山寺を訪れたお遍路さんは、まず十善戒という授戒を受けます。十の戒めを守ることを誓い、弘法大師の弟子となって巡礼をスタートさせるのです。
覚王山の霊山寺

お釈迦様の別名覚王の名をいただくここ覚王山八十八箇所霊場にも霊山寺があります。日泰寺山門の手前、日泰寺へ向かって右側です。
ここに祀られている龍神様。札所ができて間もない頃、どこからともなく白髭の老人が現れ「月に一度、人助けをしたい」と言って、当時札所の管理をされていた方に龍神様を手渡されたそうです。振り返るとその老人の姿は既になかったそうです。
すぐ近くです。本堂への参拝の折に立ち寄られてはいかがでしょうか。

来月は薬師如来

さて、来月は薬師如来についてお伝えします。その名の通り、病を治し健康にしてくださる如来です。乞うご期待。


第36話(2005年6月)

皆さんこんにちは。今年も早いもので折り返し点。湿気の多い季節です。くれぐれもご自愛ください。今年の弘法さんかわら版は仏像の話題をお送りしています。先月までは菩薩編。今月からは如来編です。

如来の見分け方

かわら版で過去何度かご紹介しましたが、仏像には菩薩、如来、明王、天部の四種類があります。このうち、菩薩と如来の違いを簡単に言うと、菩薩は悟りを求めて修行中、如来は既に悟りを開いた仏様です。
如来とはインドの言葉であるサンスクリット語で真実から来た者という意味。如来以外は仏教発祥後に教義の解釈から誕生したと考えられていることから、本来の仏像は如来だけとも言われます。
さて、菩薩と如来、どうやって見分けるのでしょうか。意外に簡単です。まず、他の仏像と違い、如来にはほとんど持ち物や装飾品がありません(大日如来は例外)。なぜかと言えば、如来は悟りを開いた時のお釈迦様(釈迦如来、別名覚王)のお姿を表しているからです。髪の毛にもご注目ください。短くパーマをかけたような髪形、これは螺髪(らほつ)と言う如来独特のものです。このほか、如来には三十二箇所の超人的特徴と八十箇所の小さな特徴(三十二相八十種好)があると言われていますが、なかなかそこまでは見分けられません。まずは、持ち物と髪型を手がかりにしてください。
諸仏の王 大日如来

弘法大師空海が開いた真言宗の最高仏として信仰されているのが大日如来。大日如来は曼荼羅という仏様の地位を示す図の真ん中に描かれています。大日如来は全宇宙の元であり、全ての諸仏の王であるからです。このことが、大日如来だけが例外的に装飾品を持っている理由でもあります。他の如来は悟りを得た出家者の姿、大日如来は王様の姿というわけです。
大日如来の語源はサンスクリット語で光をあまねく照らすもの(遍照)という意味のヴァイローチャナ。この言葉は漢字では毘盧遮那(びるしゃな)と表現されます。その意味から太陽に喩えられ大日如来と呼ばれるようになったそうです。
弘法大師には遍照金剛(へんじょうこんごう)という別名もあります。また弘法大師縁(ゆかり)の寺である奈良東大寺の大仏様は毘盧遮那仏と言われます。弘法大師と大日如来、深~い関係があるんですね。

牛馬を守る大日さん

四国八十八箇所霊場のうち、大日如来をご本尊とする札所は六つ。伊予(愛媛県)の国、第四十二番仏木寺(ぶつもくじ)もそのひとつです。
ある時、修行の旅の途上の弘法大師が通りすがりの老人に牛の背に乗っていくように勧められました。勧められるままに牛にまたがって道程を進んでいると、楠木に宝珠があるのを見つけました。それは何と弘法大師が唐(中国)に留学していた際、望郷の思いで縁の地へ導くようにと東(日本)の方角に投げた宝珠。弘法大師はその楠木を仏木とし、楠木で大日如来像を彫るとともに、像の眉毛の間に宝珠を納めました。以来、仏木寺は信仰を集め、ご本尊は農業用の牛馬を守る「大日さん」として親しまれています。
日本最小の四国霊場の写し、ここ覚王山八十八箇所霊場の第四十二番札所仏木寺は日泰寺奉安塔から東へ向かい、宗徳寺の先、D地区にあります。農業にご縁のある皆さん、是非一度ご参拝ください。

来月は釈迦如来

さて、来月は釈迦如来についてお話いたします。言うまでもなく仏教の開祖で、覚王山の地名の由来になった如来です。乞うご期待。


第35話(2005年5月)

皆さんこんにちは。新緑が目に眩しいですね。新緑と言えば、来る六月十五日は弘法大師のお誕生日を祝う青葉祭りです。高野山では大変な盛り上がりです。一度行ってみたいですね。

お釈迦様から弥勒菩薩への橋渡し

年初から様々な菩薩についてお伝えして参りましたが、締めくくりに地蔵菩薩をご紹介します。
第三十三号(本年三月号)でご説明しましたとおり、お釈迦様(別名、覚王)入滅後、五十六億七千万年後に弥勒菩薩がお釈迦様の化身としてこの世に現れます。そして、お釈迦様入滅から弥勒菩薩出現までの間、人々を救ってくださるのが地蔵菩薩です。つまり、現在の私たちは地蔵菩薩に守って頂いているわけです。

六つの世界を見守る六地蔵

仏教には六つの世界(=六道)という考え方があります。天界・人間界・修羅界の三善道と地獄界・餓鬼界・畜生界の三悪道です。人々は善行を行なえば善道へ、悪行を行なえば悪道へ生まれ変わります。これを六道輪廻(ろくどうりんね)と言います。地蔵菩薩は各界の入口に立って私たちを見守っていますが、この地蔵菩薩たちは六地蔵と言われ、古くから人々の信仰を集めています。


宝珠と錫杖で人々を救う

お地蔵さんと言えば、道端に立ち、丸い頭で左手に宝珠を持ち、右手に錫杖を持つ姿を思い浮かべる人が多いと思います。宝珠は人々の願いを叶えること、錫杖は人々を救うために俗界を遍歴することを示しています。
地蔵菩薩は安産や延命のご利益があると信じられており、延命地蔵菩薩と呼ばれることもあります。

第十九番札所立江寺

地蔵菩薩をご本尊とする四国八十八箇所霊場のひとつが、第十九番札所立江寺(たつえじ)です。立江寺はお遍路の関所とも言われ、邪心を持った者はここで弘法大師のお咎めを受けると信じられています。
立江寺の地蔵菩薩は弘法大師作ですが、ちょっと特別なお地蔵様です。弘法大師はその像の中に行基(奈良時代の高僧)作のお地蔵様を収めました。つまり、お地蔵様の中にお地蔵様、まるでロシアのマトリョーシカ人形のようです。

覚王山の第十九番札所で加持祈祷

日本最小の四国霊場の写し、ここ覚王山八十八箇所霊場の第十九番立江寺は日泰寺東側階段を下ったB地区にあります。
ここでは御嶽教による加持祈祷を行って頂けます。御嶽教は古くからのる山岳信仰から発展したものです。弘法大師も御嶽山にご登拝し、御嶽山には弘法大師像も祀られています。
編集部スタッフも人形祈祷(ひとがたきとう)を行なって頂きました。人の形をした紙に自分の体の具合が悪い所に印をつけ、これを焚き上げてお祈りして頂きます。皆様も一度お試しになってはいかがでしょうか。

来月からは如来編

さて、年初からお送りしてきました菩薩編は今月でひと区切り。来月号からは如来編をお伝えします。乞うご期待! 


第34話(2005年4月)

皆さんこんにちは。すっかり春本番ですね。春と言えば入学式や入社式。皆様のご家族にも、この春から新生活を迎えられた方も多いのではないでしょうか。今回は、そんな季節にピッタリの菩薩をご紹介します。

お釈迦様の二人の脇侍

それは、お釈迦様(別名、覚王)の二人の脇侍(わきじ)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と普賢菩薩(ふげんぼさつ)です。
文殊菩薩は「三人寄れば文殊の知恵」という諺(ことわざ)があるように、お釈迦様の知恵袋のような存在です。二月号で紹介しました虚空蔵菩薩は記憶力が優れているのに対し、文殊菩薩は判断力や理性が優れ、別名「悟りの知恵」とも言われています。
獅子にまたがり、右手に剣を持ち、左手には経典を持つ文殊菩薩像。経典は知恵の象徴、剣は知恵の鋭さ、獅子は知恵の勢いを表しているそうです。

修行と慈悲と長寿の普賢菩薩

仏教では、知恵だけでなく、修行もバランス良く行うことが理想とされています。その修行を司るのが白い象に乗った普賢菩薩。お釈迦様の二人の脇侍にも意味があるんですね。
普賢菩薩は慈悲深さ、女性らしさの象徴としても知られ、女人成仏の象徴として信仰さています。さらに長寿のご利益もあると言われ、普賢延命菩薩とも呼ばれます。

覚王山の文殊菩薩

ところで、文殊菩薩をご本尊とする四国霊場の札所は第三十一番、五台山竹林寺。なんと五十年に一度しかご開帳されない秘仏です。土佐(高知県)の景勝地、桂浜に面する風光明媚なお寺です。
日本最小の四国霊場の「写し」、ここ覚王山八十八箇所霊場の竹林寺はC地区にあります。
一方、普賢菩薩をご本尊とする札所はないようです。

目に効く観音様詳報

さて、以前眼病に効く観音菩薩が覚王山にあるとご紹介したところ、何人かの読者の方からご質問を頂戴しましたので、もう少し詳しくお伝えいたします。
正式には柳谷観音名古屋愛柳講(やなぎだにかんのんなごやあいりゅうこう)と言い、日泰寺参道の中ほどの東側、酒井屋旅館さんの脇道を挟んだ向かい側にあります。
元祖は京都府長岡京市の立願山楊谷寺(りゅうがんさんようこくじ)。その昔、この寺に目の不自由な子猿を親猿が連れて来て、湧き水で子猿の目を洗うと十七日目に子猿の目がパッチリ開いて見えるようになったという言い伝えを聞いた弘法大師が、独鈷(とっこ=仏具の一種)で地面を探り、湧き水を掘り当てました。以来、この湧き水は独鈷水(おこうずい)として眼病平癒に効く霊水と言われています。
名古屋愛柳講はこの楊谷寺から名前を授かり、楊谷寺と同じ十一面千手観世音菩薩をご本尊としています。もちろん弘法大師像も祀ってあります。毎月二十一日には参拝できますので、是非足を運ばれてはいかがでしょうか。

来月は菩薩編最終回

弘法さんかわら版では、年初から菩薩編をお送りしています。来月号では地蔵菩薩や勢至菩薩などをご紹介し、六月号からは如来編を始めさせて頂きます。乞うご期待! 


第33話(2005年3月)

皆さんこんにちは。春本番も近づいていますが、まだまだ花冷えの日もあります。くれぐれもご自愛ください。

弘法大師と弥勒菩薩

さて、本日、三月二一日は弘法大師の祥月命日(しょうつきめいにち=年命日)。承和二年(八三五年)の今日、弘法大師は高野山で入定(ご逝去)されました。
今年のかわら版は、仏像の話題をお伝えしています。今月は弘法大師入定に深い関係がある弥勒菩薩(みろくぼさつ)をご紹介させていただきます。
弘法大師は、入定の際、弟子たちに次のように語りました。
曰く、「自分は今から兜率天(とそつてん=やがて仏となるべき人が再び地上に下るまでを過ごす場所)に上り、弥勒菩薩にお仕えする。雲の間から地上をのぞき、弟子たちの行いをよく観察する。そして、弥勒菩薩とともに、すべての人々を救うためにやがて地上に下るだろう」。
何とも気の長い話ですが、現在のところ、弘法大師は弥勒菩薩といっしょにいることになります。

覚王(お釈迦様)の跡継ぎ

弥勒菩薩は、お釈迦様(別名覚王)が入滅して五十六億七千万年後、お釈迦様に代わってこの世に現れ、衆生(人々)を救う未来仏です。
如来は真理を悟った者という意味です。一方、悟りを開く前の姿が菩薩です。数ある菩薩の中でも、弥勒菩薩はいずれ如来となることを約束された唯一の菩薩と信じられています。このことから弥勒如来と呼ばれることもあります。
弥勒菩薩は、五十六億七千万年後にどうやって衆生を救うかをいつも考えています。その思案中の姿が半跏思惟(はんかしゆい)像と言われています。
左足を踏み下げ、右足を曲げて左膝の上に置き、右手で軽く頬杖をついたポーズです。「あぁ、それ知っとるがね」と呟かれた方も多いことと思います。そう、そのポーズをとっているのが弥勒菩薩です。
弥勒菩薩がこの世に現れると、人間の寿命がなんと八万歳になり、五穀豊穣で何ひとつ争いのない理想郷が出現すると信じられています。ありがたいことですね。

弥勒菩薩がご本尊の札所

さて、この弥勒菩薩と縁の深い四国霊場の札所があります。阿波の国(徳島県)の第十四番札所、「盛寿山常楽寺」です。弘仁六年(八一五年)、この地で修行中だった弘法大師のもとに弥勒菩薩が現れ、教えを説いたと伝えられています。弘法大師はすぐに弥勒菩薩像を彫り、常楽寺を建立し、これをご本尊としました。常楽寺は四国霊場の中で唯一弥勒菩薩をご本尊とする札所です。また、ここには、弘法大師が糖尿病に効く薬木を接いだとされる木もあります。
さて、四国霊場の日本最小の「写し」、ここ覚王山八十八箇所霊場の第十四番札所は、奉安塔の東側、C地区に近い西蓮寺にあります。糖尿病でお悩みの皆さん、一度お出かけください。

来月は文殊菩薩と普賢菩薩

年初から菩薩編をお送りしていますが、来月号では文殊菩薩と普賢菩薩についてお伝えします。


第32話(2005年2月)

立春が過ぎましたが、まだまだ寒い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。

いろいろな仏像、いろいろな菩薩

さて、今年の弘法さんかわら版では、仏像に関連した話題をいろいろとお伝えしたいと思います。
第十八号でご説明しましたように、仏像は五種類に分かれます。如来・菩薩・明王・天部・その他の五つですが、今回は菩薩を取り上げてみます。
先月号でご紹介しました観世音菩薩(=観音様)のほかに、金剛薩埵(こんごうさった)、虚空蔵菩薩、普賢菩薩(ふげんぼさつ)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)など、菩薩にもいくつかの種類があります。今月は虚空蔵菩薩について勉強してみました。

学業成就には虚空蔵菩薩

勉強と言えば、今は入学試験シーズン真っ盛り。受験生のお子さんやお孫さんがいらっしゃる方も多いのではないのでしょうか。今日も合格祈願のお参りでしょうか。
そんな方にうってつけなのが虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)です。虚空蔵菩薩は、知恵を増し、記憶力を良くし、さらには学業成就にご利益がある仏様として信心されています。

虚空蔵求聞持法

弘法大師空海が成し遂げた数々の偉業は、この虚空蔵菩薩を抜きには語れません。
空海は二十四歳の時の著書「三教指帰(さんぎょうしいき)」の中で、「虚空蔵菩薩の真言(仏様に捧げる祈りの言葉)を百万遍唱えると、一切の経典を暗記することができるとお告げを受け、身を粉にするような修行を行った。」と述べています。 
一日一万遍百日間、計百万遍の真言を唱え続けると、なんと虚空蔵菩薩が光の玉となって、空海の口の中に飛び込みました(一説には、明けの明星=金星が飛び込んだとも言われています)。以来、空海は誰にも劣らぬ知恵の持ち主となりました。
この修行は虚空蔵求聞持法と言います。抜群の記憶力を手にした空海は、通常は修得に数十年かかる密教の奥義をわずか数ヶ月で修めました。また、鉱物学や土木学など数々の知識も極め、多くの人々を救うこととなったのです。

覚王山の虚空蔵菩薩

さて、その虚空蔵菩薩、私たちのすぐ身近にもいらっしゃいます。日泰寺山門の手前、千体地蔵が納められているお堂のすぐ隣に立っている茶色の仏像が虚空蔵菩薩像です。
お子さんやお孫さんの学業成就、合格祈願のために、是非ご参拝ください。
ところで、この虚空蔵菩薩像、いつ誰がこの場所に安置したのでしょうか。編集部でも調べてみましたが、よく分かりませんでした。ご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ご教示ください。

来月は年命日の弘法さん

さて、来月の弘法さんの日(三月二十一日)は空海の年命日です。日泰寺参道が一年で最も賑わう日です。
空海は西暦八三五年三月二十一日に高野山で入定(ご逝去)されましたが、この時に深く関係するのが弥勒菩薩です。来月号ではこの弥勒菩薩についてお伝えしたいと思います。


第31話(2005年1月)

皆さん、明けましておめでとうございます。今日は初弘法ですね。弘法さんかわら版も足かけ四年目に入りました。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

弘法大師と「曜日」

さて、今日は金曜日ですが、曜日という考え方を初めて日本に伝えたのが誰かご存知ですか。実は弘法大師なのです。
曜日の起源はインドで書かれた「宿曜経」という密教の経典にあります。これを中国に伝えたのは不空三蔵という人物です。この不空三蔵は、弘法大師の師匠である恵果和尚の師匠、つまり弘法大師の大師匠(師匠の師匠)です。
留学僧として中国(唐)に渡った弘法大師が恵果和尚に師事し、宿曜経を日本に持ち帰りました。

星祭り

さて、この宿曜経の教えに沿って、高野山の宝善院では、毎年二月三日の節分の日に星祭りが開かれています。
人には数え年によって九種類の当たり星(九曜星)があるとされています。羅喉星、土曜星、水曜星、金曜星、日曜星、火曜星、計都星、月曜星、木曜星の順です。これは九年周期で一回転しますが、曜星によって大吉から凶まで吉凶の差があります。そこで星祭りでは、吉の星に当たった人はさらに運勢が良くなるよう、凶の星に当たった人は災難を避けるよう、星供曼荼羅に各人の御守札を供えてお祈りをします。

覚王山で星祭り?

さてこの星祭り、遠い高野山の行事かと思いきや、ここ覚王山でもその御守札を入手できるという話を耳にしました。
四国霊場の日本最小の「写し」、覚王山八十八カ所霊場の第十五番札所(国分寺)で、高野山宝善院の星祭りにお供えする御守札を取り扱っているそうです。ご関心をお持ちの方は、日泰寺本堂東側の階段下、B地区にあります第十五番札所にてお尋ねください。

菩薩と如来

高野山宝善院のご本尊は観世音菩薩です。通称「宝観音」と呼ばれているそうです。観音様は日本では最も人気のある仏像の一つですね。
ところで、かわら版の第十八号で仏像にはいろいろな種類があることをご紹介しました。菩薩は悟りを開いて如来になる前の姿だそうです。
今年のかわら版では、こうした仏像の基本について勉強してみたいと思います。乞うご期待。

百度石と浄メ石

ひとつ訂正とお詫びです。先月号で日泰寺本堂東側の階段の上に「百度石」があるとお伝えしましたが、よく確認したところ、階段の下、覚王山八十八カ所霊場の札所が集中するB地区にいくつもあることがわかりました。申し訳ございませんでした。 
一方、階段の上にあるのは「浄メ石(きよめいし)」の石柱です。浄メ石にはまっている車輪のような丸い石を願い事を念じながら回すと、願いが叶うと言われています。皆さんも、初弘法の願をかけられてはいかがでしょうか。

目の観音様

先月号をお配りしている際に、十一月号でご紹介しました「目直し観音」こと柳谷観音の場所についてお尋ねいただきました。参道の真ん中あたり、樫尾クリニックさんのすぐ近くにあります。柳谷観音についてはさらに面白いことがありそうですので、また来月以降に報告させて頂きます。


第30話(2004年12月)

皆さん、こんにちは。早いもので今日は今年最後の弘法さんです。
弘法さんかわら版も今回で第三十号、来年から足かけ四年目に入ります。これも、皆さんにご愛読頂いているお陰です。本当にありがとうございます。

来年の守り本尊は?

昨年の十二月号でも紹介させて頂きましたが、毎年の干支(えと)ごとに守り本尊が定められています。申(さる)年の今年は大日如来でした。さて、来年は酉(とり)年、守り本尊は不動明王です。不動明王はとても厳しい形相をしていますが、悪を退散させる守護神です。また、商売繁盛や立身出世にもご利益があります。
不動明王を中国から日本へ伝えたのは弘法大師です。高野山金剛峰寺には、弘法大師作の不動明王像があります。弘法大師ゆかりの四国霊場の日本最小の「写し」、ここ覚王山八十八カ所霊場にも不動明王像があります。日泰寺本堂の東側B地区です。お時間があれば、一度お訪ねください。

百度石

その日泰寺本堂東側の階段の上に「百度石」と書かれた石柱があることをご存知でしょうか。石柱と本堂の間を行き来して百回お参りすることをお百度参りと言います。お百度参りは全国各地にありますが、安産や病気治癒の願いが叶うと古くから言い伝えられています。
家から本堂までを往復するのが本来の姿ですが、家が遠い人はたいへんです。そこで、百度石が誕生しました。百度石はお百度参りの折り返し点の道標なのです。
先月号では、一直線に聖地を目指す巡礼や、四国霊場のように回る巡礼をご紹介しました。お百度参りは、言わば往復する巡礼と言えるかもしれませんね。

「町石」の謎

百度石とは性格が違いますが、石造りの道標は、高野山や四国霊場の巡礼に欠かせないものです。高野山の山上に至る表参道には、一町(=百九メートル)ごとに町石(ちょういし)と呼ばれる石柱が立てられています。参道入口から根本大塔まで百八十基あります。また、根本大塔から奥の院に至る三十七町の道には三十六基の町石があります。
この町石の数には深~い意味があります。この数は弘法大師が日本に伝えた密教の曼荼羅(まんだら)と関係があります。曼荼羅とは、仏様の世界を図で表したもので、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の二つがあります。胎蔵界に描かれる仏様の数が百八十、そして金剛界の仏様の数が三十七であることにちなみ、同じ数の町石を立てたというわけです。
さらに、この町石は弘法大師の生誕地、讃岐(香川県)から運んできたものだそうです。

日泰寺の除夜の鐘で四苦八苦忘れ

あと数日で大晦日です。日泰寺でも恒例の除夜の鐘が突かれます。除夜の鐘はなぜ百八回かというと、人間が持つ百八の煩悩を消し去るためと言われています。また、人間のさまざまな苦しみ、つまり四苦八苦を消すためという説もあります。苦=九と考えると、四×九+八×九=百八になります。
それでは、皆さん、来年もどうぞよろしくお願い致します。日泰寺の除夜の鐘を聞き、今年の四苦八苦を忘れ、よい年をお迎えください。


第29話(2004年11月)

皆さん、こんにちは。今年もあとひと月あまりとなりました。巡礼の話題を中心にお伝えしてきました今年のかわら版もあと二回となりました。

巡礼アラカルト

覚王山八十八カ所霊場は、半径1キロメートル以内に全ての霊場がある四国巡礼地の日本最小の「写し」です。一日で回ることのできるありがたい「写し」です。
さて、本家の四国巡礼地は、ご承知のとおり徳島、高知、愛媛、香川の順に、四国を時計回りに参拝する丸い霊場巡りです。実は、これ、世界的にも珍しい巡礼方式です。
ヨーロッパでは、ローマ、エルサレム、サンチャゴ(スペイン)が三大巡礼地と言われていますが、いずれも一直線に聖地を訪ねる旅です。
西国三十三カ所、坂東三十三カ所、秩父三十四カ所など、他の国内巡礼でもグルッと回る方式のものはありません(余談ですが、この三つをあわせて、百観音巡りとも言います)。
かわら版でご紹介した、石仏巡り、七福神巡りのほかにも、巨木巡りなど、まだまだ知らない巡礼がありますが、いずれも回る巡礼ではありません。
世界的にも珍しい回る巡礼の「写し」ですから、覚王山霊場も八十八番は一番の近くに戻ってくるようになっています。なるほどという感じです。

祝!覚王山日泰寺百周年

ところで、一九〇四年(明治三十七年)に覚王山に建立された日泰寺は、今年が百周年です。タイから送られた本物のお釈迦様の骨(仏舎利)を祀るのが日泰寺建立の目的でしたので、今月十五日の記念行事には、タイからもお客様をお迎えしたそうです。

奉安塔、大書院鳳凰台公開!

先月三十日には、その仏舎利を収めた奉安塔と大書院鳳凰台が一般公開されました。
奉安塔に至る通路の手前には奉安塔を拝むための礼拝殿があります。礼拝殿に使った木材を寄進したのは大隈重信公です。幕末の志士であり、明治政府の総理大臣、早稲田大学の創立者の大隈さんが、日泰寺に足跡を残していたとは知りませんでした。
日泰寺本殿の東にある大書院鳳凰台は、二百畳もある総桧造の大変優美な大広間です。次回の公開の際には是非ご覧ください。

「目直しのお札」?

ところで、かわら版第十七号で七十七番札所の桑多山道隆寺、別名「目直し薬師」に関連して、昔、参道で配られていた「目直しのお札」のことを取り上げました。その際、それが今どうなっているかは分からないということをお伝えしましたが、日泰寺のそばにある柳谷観音というお寺が「目の観音様」と呼ばれていることが分かりました。弘法大師像と、京都の東寺では大師の化身と呼ばれている不動明王像も祀られています。何か関係があるかもしれませんね。ご報告しておきます。

いよいよ来月「弘法さんを語る会」

さて、弘法大師のことをもっと知るために、来る十二月十四日(火)、「弘法さんを語る会」を開催させて頂きます。第一回のテーマは、「弘法大師の生涯」です。
場所は日泰寺西側の庭園ギャラリー「いち倫」です。「いち倫」については裏面をご参照ください。定員二十人ですので、お時間とご興味のある方のご参加を、心よりお待ちしております。


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大塚耕平

  • 2002年から「弘法さんかわら版」を書き続けています。仏教に親しみ、仏教から学び、仏教を探訪しています。より良い社会を目指すうえで仏教の教えは大切です。「弘法さんかわら版」は覚王山日泰寺(名古屋市千種区)と弘法山遍照院(知立市)の弘法さんの縁日にお配りしています。縁日はお大師様の月命日に立ちます。覚王山は新暦の21日、知立は旧暦の21日です。
  • 著書に「お大師様の生涯と覚王山」(大法輪閣)、「仏教通史」(大法輪閣)など。全国先達会、東日本先達会、愛知県先達会、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念イベント(室戸市)、中日文化センターなどで講演をさせていただいています。毎年12月23日には覚王山で「弘法さんを語る会」を開催。ご要望があれば、全国どこでも喜んでお伺いします。
  • 1959年愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院博士課程修了(学術博士、専門はマクロ経済学)。日本銀行を経て、2001年から参議院議員。元内閣府副大臣、元厚生労働副大臣。現在、早稲田大学総合研究機構客員教授(2006年~)、藤田医科大学医学部客員教授(2016年~)を兼務しています。元中央大学大学院公共政策研究科客員教授(2005年~17年)。