弘法さんブログ

第174話(2016年12月)

皆さん、こんにちは。いよいよ年の瀬。寒い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。さて、昨年から紙上遍路の旅を続けていたかわら版。九月に結願し、総集編も今回で最後。今月は標高の高い札所、札所間の距離の長い遍路、短い遍路などをご紹介します。

★遍路ころがし

八十八ヶ所霊場のうち、標高五百メートル以上に位置する札所は八つ。
一番高いのは標高九一一メートルの六十六番・雲辺寺(うんぺんじ)。
札所としては讃岐(香川)の打ち始めですが、住所は徳島。つまり、県境の山の中にあります。
二番目は阿波(徳島)の十二番・焼山寺(しょうざんじ)。標高八百メートルです。
三番目は伊予(愛媛)の六十番・横峰寺(よこみねじ)の標高七五〇メートル。
ベストテンの中に土佐(高知)の札所はひとつだけ。七番目の二十七番・神峯寺(こうのみねじ)です。
標高の高い険しい山の中にある札所は、いかにも霊場という雰囲気ですよね。昔から遍路ころがしと呼ばれ、お遍路さんにとっては、参拝できると喜びもひとしおの難所でした。

★遠路の土佐路


札所間の距離が長いのは土佐の特徴。札所の数が少ない一方、面積が広いからです。
一番長いのは、三十七番・岩本寺と三十八番・金剛福寺の間の八十一キロメートル。もちろん、土佐です。
二番目は阿波の最後、二十三番・薬王寺から土佐の打ち始め、二十四番・最御崎寺(ほつみさきじ)。七十五キロメートルです。
一方、距離が短いのは瀬戸内海側。一番短いのは六十八番・神恵院(じんねいん)と六十九番・観音寺。何と同じ境内の中ですから、距離はゼロメートル。
札所間の距離が一キロメートル以内は四か所。こういう遍路は、お遍路さんの足取りも軽く、納経帳の御朱印もドンドン増え、嬉しいですよね。

★良いお年を

今年もかわら版にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。それでは、良いお年をお迎えください。

<標高の高い札所> (単位・メートル)

順位札番・寺号阿波土佐伊予讃岐
166番・雲辺寺911
212番・焼山寺800
360番・横峰寺750
445番・岩屋寺700
521番・大龍寺610
620番・鶴林寺550
727番・神峯寺500
888番・大窪寺500
944番・大寶寺490
1065番・三角寺450

<距離の長い札所間> (単位・キロメートル)

順位札番・寺号距離備考
137番・岩本寺~38番・金剛福寺80.7土佐
223番・薬王寺~24番・最御崎寺75.4阿波~土佐
343番・明石寺~44番・大寶寺61.9伊予
436番・青龍寺~37番・岩本寺58.5土佐
538番・金剛福寺~39番・延光寺52.8土佐

<距離の短い札所間> (単位・キロメートル)

順位札番・寺号距離備考
168番・神恵院~69番・観音寺同じ境内讃岐
272番・曼荼羅寺~73番・出釈迦寺0.6讃岐
314番・常楽寺~15番・国分寺0.8阿波
446番・浄瑠璃寺~47番・八坂寺0.9伊予
56番・安楽寺~7番・十楽寺1.2阿波

第173話(2016年11月)

皆さん、こんにちは。もうすぐ師走、寒い日が増えてきました。朝晩は冷え込みます。くれぐれもご自愛ください。さて、紙上遍路のかわら版。九月で結願し、先月は八十八ヶ所霊場のご本尊の全体像をお伝えしました。今月は開基(札所を開いた祖師)についてお伝えします。

★十八開基
八十八ヶ所霊場の開基は、全部で十八祖師。
もちろん、一番たくさん札所を開いたのはお大師様。三十七ヶ所です。
もっとも、表をご覧いただいておわかりのとおり、お大師様と智証大師がともに開基となっている札所が二ヶ所。これを加えると三十九ヶ所です。
二番目にたくさん札所を開いたのは行基菩薩で、三十ヶ所。
お大師様と行基菩薩で六十七ヶ所(六十九ヶ所)ですから、このおふたりが断トツです。
三番目は、修験道、山岳仏教の祖師と言われる役行者(えんのぎょうじゃ)小角(おづぬ)。阿波と伊予で四ヶ所開いています。
複数の札所を開いた祖師は、お大師様と両開基になっている智証大師が二ヶ所、あとは日証上人が二ヶ所です。
残る十三ヶ所は、表に記載したとおりです。天皇としては、天武天皇と聖武天皇がお開きになっています。

★智証大師

お大師様と両開基になっている智証大師の生前のお名前は円珍。お大師様の妹の子ですから、甥になります。
讃岐の国、八十一番・綾松山白峯寺と八十二番・青峰山根来寺。
いずれも弘仁年間にお大師様がそれぞれの山に登り、堂宇を建立。
のちに智証大師が訪れた際、白峯寺では白峯大権現の神託を、根来寺では市之瀬明神の神託を受け、それぞれに伽藍を建立するとともに、千手観世音菩薩像を彫ってご本尊としました。
★標高と距離

来月は、標高の高い札所、札所間の距離の長い遍路、短い遍路などをご紹介します。乞ご期待。

四国の札所を開いた祖師とその数

順位開基阿波土佐伊予讃岐
1弘法大師1487837
2行基菩薩789630
3役行者小角10304
4弘法大師・智証大師00022
5日証上人00022
6その他天武天皇明神右京隼人
越智守興
聖徳太子
真野長者
恵明上人
聖武天皇
円手院正澄
和気道善
和気道隆
鑑真
義淵僧正
藤原不比等
13
霊場(札所)数2316262388

第172話(2016年10月)

皆さん、こんにちは。秋本番、肌寒い日も増えてきました。朝晩は冷え込みます。くれぐれもご自愛ください。さて、紙上遍路のかわら版。先月で結願。皆さん、お疲れ様でした。今月は阿波、土佐、伊予、讃岐の四国全体のご本尊についてお伝えします。

★仏像いろいろ

過去のかわら版でお伝えしましたが、仏像には五種類あります。覚えていらっしゃいますか。
如来、菩薩、明王、天部、垂迹(すいじゃく)の五種類です。
如来のサンスクリット語(原語)の意味は「真実から来た者」。つまり、悟りを開いた仏さまのことです。
如来以外は、仏教誕生後に教義の解釈から生まれたと考えられていることから、本当の仏像は如来だけとも言われます。
菩薩は、その如来になるための修行中の身。だから、悟りを開くために努力する人は皆、菩薩です。
明王は、悩み、迷える人々(衆生)を如来の教えに導く案内役。時に恐い顔をして愚かな衆生を戒めます。
天部の「天」は天竺の「天」。つまり、天部は仏教誕生の遥か前からインドに伝わる神様がモデルです。だから、独特の衣装などを身に着けています。
垂迹は、日本古来の神々などと関係したり、如来、菩薩、明王、天部の類型に入らない仏像です。

★九十二本尊

四国八十八ヶ所霊場のご本尊は十六種類。
一番多いのは薬師如来。病に悩むお遍路さんたちが多かったせいでしょうか。
二番は千手観音菩薩と十一面観音菩薩。四番は阿弥陀如来、五番は大日如来と地蔵菩薩。
ベストファイブの六本尊は、如来、菩薩が三本尊ずつで引き分けですね。
表をご覧いただくと、なぜかご本尊の合計が九十二になっています。不思議ですねぇ。
原因は、三十七番札所(土佐)の岩本寺が、不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の五本尊を擁しているからです。

★開基

来月は、札所の開基(開いた人)が誰かを整理してみたいと思います。一番は誰でしょうか。乞ご期待。

阿波、土佐、伊予、讃岐の四国全体のご本尊

種類順位ご本尊阿波土佐伊予讃岐
11薬師如来765624
22千手観音菩薩322411
32十一面観音菩薩126211
44阿弥陀如来224210
55大日如来11316
65地蔵菩薩32106
77聖観音菩薩01045
87釈迦如来30115
99不動明王02204
1010虚空蔵菩薩21003
1111十一面千手観音菩薩00022
1212弥勒菩薩10001
1312文殊菩薩01001
1412毘沙門天00101
1512大通智勝如来00101
1612馬頭観音菩薩00011
ご本尊2320262392
霊場(札所)数2316262388

第171話(2016年9月)

★香木の香り

皆さん、こんにちは。秋の気配も深くなり、朝晩は涼しくなりました。くれぐれもご自愛ください。さて、紙上遍路のかわら版。残すは三ヶ寺、いよいよ結願。最後まで頑張りましょう。今月も元気に出発です。

★讃岐最古

八十五番から約六キロメートル、八十六番は補陀落山(ふだらくざん)志度寺(しどじ)。
讃岐の最古刹。創建は日本に仏教が伝来して間もない大和朝廷時代の推古三十三年と言われています。
この地の尼、凡薗子(おおしのそのこ)が志度の浦に漂着した檜の霊木を引き上げると、閻魔大王の化身が現れ、その霊木で十一面観音像を彫って姿を消しました。それを祀ったのが寺の縁起です。
補陀落山はインドの南方にある観音菩薩の住む世界です。
藤原不比等がこの地の海女であった妻の墓を建立。堂宇を立てて死渡道場と称しました。死渡は極楽浄土へ渡るという意味でした。
息子の房前(ふささき)が行基菩薩と一緒に寺を訪ね、母の菩提を弔って諸堂を再興。寺号を志度寺に改称。
この寺は、近松門左衛門の浄瑠璃「大織冠(たいしょっかん)」や謡曲「海人(あま)」の舞台になっています。

★大会陽福奪い

八十六番から約七キロメートル、八十七番は補陀落山長尾寺(ながおじ)。
行基菩薩がこの地を巡錫し、路傍の楊柳(ようりゅう)に霊験を感得。この柳で聖観世音菩薩像を彫り、堂宇を建てて安置したのが開基です。
観音様がご本尊なので、山号は八十六番と同じ補陀落山です。
お大師様もこの寺を来訪。年初の七夜にわたり護摩修法を行い、人々に護摩符を授けました。
この行事は今日まで、毎年正月七日に行われる大会陽福奪い(だいえようふくうばい)として続いています。
宝木が撒かれ、三宝にのせた大鏡餅で力比べも行われます。
境内には、源義経の側室であった静御前(しずかごぜん)が母の磯禅尼(いそぜんに)とともに得度した後、髪を埋めたと伝えられる静御前剃髪塚もあります。

★鑑真和上

いよいよ結願所に向かいます。八十七番から約十五・六キロメートル。待ち遠しくも、お遍路が終わるのが名残惜しく、一歩一歩に思いがこもる道中です。八十八番は、徳島県境に近い矢筈山(やはずやま)中腹にある医王山大窪寺(おおくぼじ)。
この寺も、行基菩薩が巡錫した折、霊夢を感得して草庵を建てたのが開創縁起です。
唐から帰朝したお大師様は、現在の奥之院付近にある岩窟で虚空蔵求聞持法を修法。
お大師様は谷間の窪地に堂宇を建て、薬師如来像を彫って本尊とし、地形に因んで寺号を大窪寺としました。
お大師様が長安青龍寺の恵果和尚から授かった錫杖(しゃくじょう)が納められています。
お大師様がご本尊に水を捧げるため、杉の根元を独鈷で加持して湧き出た清水は今日まで絶えたことがなく、多くの人がその薬効のご利益を受けています。
お大師様の高弟、真済(しんぜい)僧正が住職の頃から、女性の参拝も許され、女人高野として興隆しました。
お遍路をともにした金剛杖は道中大師と呼ばれます。菅笠などとともに、毎年春秋の紫燈大護摩(さいとうおおごま)で供養されます。
大窪寺に辿り着いたお遍路さん。最後のお勤めを終えると「もったいないこと南無大師遍照金剛」と繰り返し、立ち去り難い思いで一杯になります。
生きていること、生かされていることに感謝し、結願します。

★総集編

たかが紙上遍路。されど紙上遍路。何だか感無量ですが、来月は八十八ヶ所霊場の総集編です。


第170話(2016年8月)

皆さん、こんにちは。立秋も過ぎましたが、まだまだ暑い日が続きます。ご自愛ください。さて、紙上遍路のかわら版。残すは七ヶ寺。頑張って打ち通しましょう。今月も元気に出発です。

★香木の香り

八十一番から約七・五キロメートル、八十二番は青峰山(あおみねざん)根香寺(ねごろじ)。
五色台については先月号でもご紹介しました。高松と坂出の間、瀬戸内海に突き出た標高四百メートルの山並みです。
この地に五智(ごち)如来を感得して花蔵院(けぞういん)を建立したお大師様。
この地で市之瀬明神の化身と遭遇し、千手院を建てたお大師様の甥の智証大師(円珍)。
千手観音像を彫った香木の切り株が芳香を放ち続けたことから、両院を総称して根香寺と呼ばれました。
香川という地名は、その香木の強い香りが川に流れて下流に届いたことに由来するとの説もあります。香木は樺の木とも言われています。

★地獄の釜の音

八十二番から約十六・三キロメートル、八十三番は神毫山(しんごうざん)一宮寺(いちのみやじ)。
一宮寺は八十八ヶ所霊場の中でも最古のひとつ。
開基は奈良時代の義淵僧正。日本への仏教伝来から約百五十年後の大宝年間。元号に因んで大宝寺と称しました。
その後、諸国に一の宮が建立された際、行基菩薩が当寺を讃岐一の宮である田村神社の別当寺とし、寺号を一宮寺に改称。
田村神社の鳥居を出て左に進むと、一宮寺の仁王門。
本堂左にある薬師如来を祀る石の小祠。頭を入れると聞こえる唸り音は通称「地獄の釜の音」。
この音を聞くと、「新しい境地が開ける」と伝えられています。

★鑑真和上

八十三番から約十六キロメートル、八十四番は源平合戦で知られる屋島の上に建つ南面山(なんめんざん)屋島寺(やしまじ)。
授受戒のしきたりを伝えるために日本に渡ることを決意した唐の鑑真和尚。
五回もの渡海の失敗の末、失明。それでもなお六回目の渡海を試み、七五三年、鹿児島に上陸。
翌年、難波経由で東大寺に向かう航海の途上、屋島沖で瑞光を感得し、屋島北嶺に登って普賢堂を建立。
弟子の恵雲律師が初代住職となり、屋島寺と号しました。
八一五年、お大師様が嵯峨天皇の勅願により来訪。伽藍を北嶺から南嶺に移し、十一面千手観世音菩薩を彫って本尊としました。
山岳仏教の修行場として興隆。平家供養の梵鐘は、鎌倉時代のものです。

★八栗の聖天さん

八十四番から約六キロメートル、八十五番は五剣山(ごけんざん)八栗寺(やくりじ)。
屋島の東にある五剣山。五峰に由来した名前ですが、江戸時代の豪雨と地震で山体が変容。現在は四峰です。
お大師様は幼少の頃よりこの山に登っていたそうですが、ある時、五柄(ごふり)の剣が天から降り、蔵王権現が出現。
山頂から四方八ヶ国が見渡せたため、当初の寺号は八国寺。
入唐前にお大師様が埋めた八つの焼き栗が、帰朝後に繁茂しているのを見て、寺号を八栗寺に改号。
お大師様が彫った歓喜天を祀る聖天堂。夫婦和合、厄除け、商売繁盛の「八栗の聖天さん」として信心されています。

★捨身ヶ嶽

残すところ三ヶ寺。来月は、浄瑠璃や謡曲にも登場する八十六番、志度寺から。乞ご期待。


第169話(2016年7月)

皆さん、こんにちは。いよいよ夏本番。暑さに負けず、頑張りましょう。さて、紙上遍路のかわら版。残すは十一ヶ寺。頑張って打ち通しましょう。今月も元気に出発です。

★厄除うたづ大師

七十七番から約七・二キロメートル、七十八番は宇多津町の仏光山(ぶっこうざん)郷照寺(ごうしょうじ)。
開基は行基菩薩。当初は道場寺と称し、ご詠歌にもその寺名が登場します。
お大師様は自らの像を彫り、厄除祈願して奉納。厄除うたづ大師と呼ばれて今でも広く侵攻されています。
宇多津は往事から港町として栄え、理源大師(聖宝)、恵心僧都(源信)、道範阿闍梨など、多くの高僧が来山。
一遍上人が三ヶ月逗留したのを契機に、高松藩初代藩主松平頼重公が寺名を郷照寺に改め、宗派も四国霊場で唯一の時宗としました。
境内からは、瀬戸内海にかかる瀬戸大橋が一望できます。

★天皇寺と天皇社

七十八番から約六・六キロメートル、宇多津から坂出に入ると右手の金山(かなやま)中腹にあるのが七十九番、金華山天皇寺。
この地に日本武尊ゆかりの弥蘇場(やそば)と呼ばれる泉があります。お大師様が泉を訪れた際、金山権現が現れ、仏法守護を命じて宝珠を託しました。お大師様は宝珠を嶺に埋め、寺を摩尼珠院と号しました。
保元の乱に敗れた崇徳(すとく)上皇が讃岐に流され、四十六歳で崩御。弥蘇場の泉に仮安置され、白峰山で荼毘にふされたことから、摩尼珠院は天皇寺とも呼ばれるようになります。やがて二条天皇が鎮魂のために天皇社を造営。天皇寺の住職は天皇社の別当に任じられました。
明治政府の廃仏毀釈、神仏分離令によって、摩尼珠院は廃寺、天皇社は白峰宮と改称。その後、末寺の高照院が当地に移って以来、金華山高照院天皇寺と呼ばれ、隣接する白峰宮とともに今日に至っています。

★四国最古の梵鐘

七十九番から約八キロメートル、八十番は白牛山(はくぎゅうざん)國分寺。
天平十三年(七四一年)、聖武天皇が国家安穏、五穀豊穣を祈願して、全国六十八ヶ所に国分寺建立を下命。
讃岐國分寺の落慶は天平勝宝八年(七五六年)。寺領二町四方(約五万平方メートル)の大寺院でした。
境内に残る疎石三十三個から推計される創建当時の本堂(金堂)の大きさは奈良唐招提寺の金堂に匹敵。
山門の右手には七重塔の十五個の礎石。京都東寺の五重塔を上回る高さでした。
天正の兵火によって堂宇のほとんどを焼失しましたが、創建当時の梵鐘が現存。四国最古、重さ一・二トン、由来伝説の多い梵鐘です。

★頓証寺殿(白峯御陵)

八十番から約七・五キロメートル、八十一番は綾松山(りょうしょうざん)白峯寺(しろみねじ)。
七十九番天皇寺と同様に、崇徳上皇に由来します。
上皇崩御後、二条天皇が天皇社を造営した後も、都では異変が頻発。そのため、崩御後二十六年目に後鳥羽天皇が上皇の霊を祀る廟所として法華堂を建立。現在は頓証寺殿(白峯御陵)と呼ばれています。
現在の高松市と坂出市にまたがる山岳地域は、白峰のほかに、青峰、黒峰、紅(赤)峰、黄峰を含む十以上の峰々から構成され、五色台と呼ばれています。
お大師様の甥、智証大師(円珍)が、瀬戸内海で引き上げた異香、異光を放つ流木で彫った千手観音が本尊として祀られています。

★捨身ヶ嶽

残すところ七ヶ寺。来月は、五色台の青峰に建つ八十二番、根来寺から。乞ご期待。


第168話(2016年6月)

皆さん、こんにちは。梅雨の季節です。ご自愛ください。さて、紙上遍路のかわら版。残すは十五ヶ寺。頑張って打ち通しましょう。今月も元気に出発です。

★満濃池

お大師様の幼名は真魚(まお)。七十三番から約二・一キロメートル、七十四番は医王山甲山寺(こうやまじ)。この辺りは真魚の遊び場でした。
壮年になって故郷を訪ね、伽藍の建立地を探していたお大師様。甲山(かぶとやま)近くを歩いていると老翁に遭遇。「ここが聖地なり」との啓示に歓喜し、石で毘沙門天を刻んで安置供養したのが当寺の始まり。
都に戻ったお大師様は満濃池修築の別当(監督)を命じられ当地に赴任。薬師如来を彫って工事の成功を祈願。お大師様を慕う数万人の農民が集まり、修築工事はわずか三か月で完了。
朝廷からの二万貫の褒賞金で堂宇を建立。薬師如来を本尊としました。

★誕生院

田園の彼方に見える五重塔を目指し、七十四番から歩くこと約一・五キロメートル。お大師様の生誕地、七十五番は五岳山(ごがくざん)善通寺(ぜんつうじ)。
東院と西院からなる広大な境内。お大師様は西院御影堂の奥殿辺りにあった母玉寄御前(たまよりごぜん)の館で誕生。故に西院は誕生院とも呼ばれます。
唐から帰朝したお大師様は父の屋敷跡に一族佐伯氏の菩提寺を建立。善通(よしみち)という父の名に因んで寺号は善通寺。
背後に香色山(こうしきさん)、筆山(ふでのやま)、我拝師山(がはいしざん)、中山(なかやま)、火上山(ひあげやま)の五山が屏風を立てたように聳えていたことから、山号を五岳山とし、周辺は屏風ヶ浦と呼ばれました。
長安の青龍寺を模して建立された七堂伽藍。境内にはお大師様の産湯の井戸があり、恵果和尚から授かった錫杖も納められています。

★智証大師

七十五番から約三・七キロメートル、七十六番は鶏足山(けいそくざん)金倉寺(こんぞうじ)。
この地はお大師様の甥である智証(ちしょう)大師(生前は円珍)の生誕地。
入唐した円珍は、帰朝後、延暦寺第五代座主を務め、天台宗寺門派(園城寺派)の宗祖となりました。
当寺は、円珍の祖父和気道善(わけみちよし)が建立し、寺号は道善寺(どうぜんじ)としました。
円珍は帰朝後、当寺に滞在し、長安青龍寺に倣った七堂伽藍を建立。
九二八年、醍醐天皇の勅命で寺号を地名の金倉郷(かねぐらごう)に因んで金倉寺(こんぞうじ)に改め、山号は釈迦十大弟子のひとりである迦葉尊者(かしょうそんじゃ)の入定地に因んで鶏足山に改めました。
この頃の当寺は僧坊百三十二を数える大寺院でしたが、天正の兵火等で灰燼に帰した後、高松藩初代藩主松平頼重の庇護で再興されました。

★三大師住職

七十六番から約三・七キロメートル、七十七番は桑多山(そうたざん)道隆寺(どうりゅうじ)。
山号のとおり、創建時の寺域周辺は広大な桑畑。絹の生産地だったようです。
領主の和気道隆が桑畑で乳母を弓で誤射。供養のため、桑の木で薬師如来を彫って堂宇を立てたのが寺の縁起。その後、乳母は蘇生したそうです。
道隆の子、朝祐(ちょうゆう)はお大師様から授戒を受け、全財産を投じて七堂伽藍を建立。第二世住職となり、寺号は父の名に因んで道隆寺と称しました。
お大師様の実弟真雅(しんが、法光大師)、甥の円珍(智証大師)、聖宝(しょうぽう、理源大師)という後の三大師が相次いで第三世、四世、五世住職となり、寺は繁栄しました。

★捨身ヶ嶽

来月は、境内から瀬戸内海にかかる瀬戸大橋が眺望できる七十八番、郷照寺から。乞ご期待。


第167話(2016年5月)

皆さん、こんにちは。初夏を感じる季節になりました。さて、紙上遍路のかわら版。残すは十九ヶ寺。頑張って打ち通しましょう。今月も元気に出発です。

★一夜建立の寺

同じ境内にある六十八番、六十九番から東北に約四・六キロメートル、前方に五重塔が見えてきます。七十番、七宝山(しっぽうざん)本山寺(もとやまじ)です。
平城天皇の勅願を受け、お大師様が井ノ内村(徳島県)で用材を伐採、財田村(香川県)で製材したうえで運搬し、数日で寺を組み立てた逸話から一夜建立の寺と言われています。
本尊の馬頭観世音菩薩、脇侍の阿弥陀如来と薬師如来はお大師様自らによる一刀三礼の作。
長宗我部元親による天正の兵火の折、軍勢は侵入を拒む住職を斬って堂内に強襲。すると、内陣厨子が開き、阿弥陀如来像が血を流しているのを見た軍勢は、恐れをなして退散。
以来、阿弥陀如来像は太刀(たち)受けの弥陀(みだ)と呼ばれています。

★日本三大霊場

七十番から約十二キロメートル。標高三百八十二メートルの弥谷山(いやだにやま)の中腹に立つのが七十一番、剣五山(けんござん)弥谷寺(いやだにじ)。
この辺りからお大師様の生誕地、善通寺に近くなり、幼少時の逸話が伝わっています。
真魚(まお)と称した幼少時に籠って学問をした岩窟は獅子の岩屋と呼ばれ、大師堂の奥に残っています。
開基は行基菩薩。弥谷山の山頂から、阿波、土佐、伊予、讃岐、備前、備中、備後、安芸の八か国が眺望できたことから、行基菩薩が東の峰に阿弥陀如来像、西の峰に釈迦如来像を安置し、蓮華山(れんげざん)八国寺(やこくじ)と命名。三つの峰を擁するため、山は三朶(さんだ)の峰とも呼ばれます。
唐から帰朝したお大師様が参籠した折、天から五柄(ごふり)の剣が降りてきたことに因み、山号寺号を剣五山弥谷寺に改めました。
下北半島の恐山、国東半島の臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)、そして弥谷山は日本三大霊場。弥谷寺には弥谷信仰、弥谷参りの風習が残っています。

★最古の四国霊場

七十一番から約三キロメートル、いよいよお大師様の生誕地である善通寺市入り。七十二番は我拝師山(がはいしざん)曼荼羅寺。
創建は四国霊場で最古の推古四年(五九六年)。お大師様の生家である讃岐領主、佐伯氏の氏寺として建立され、当初は世坂寺(よさかじ)と呼ばれました。
唐から帰朝したお大師様は、亡母・玉依(たまより)御前の菩提を弔うため、長安の青龍寺(恵果和尚から密教の正統を授かった寺)を模して伽藍を整え、持ち帰った両界曼荼羅を奉納して寺号を曼荼羅寺に改めました。
その際に植えた松が直径十八メートル近くに育ちって不老の松と呼ばれていましたが、近年松喰い虫に侵され、平成十四年に惜しくも伐採。
かつての菅笠を二つ伏せたような姿であったことから、今では幹に笠松大師と刻まれ、鎮座しています。
平安時代には、西行法師が二年間逗留し、西行庵を結びました。

★捨身ヶ嶽

七十二番から約〇・五キロメートル、徒歩数分で到着するのが七十三番、我拝師山出釈迦寺(しゅつしゃかじ)。
七歳の真魚が衆生救済の請願を立てて崖から捨身。すると、紫雲とともに蓮華に座した釈迦如来が現れ、真魚を抱きとめて救ったという伝説が残っています。
長じてお大師様がこの地に寺を建立。捨身した崖は捨身ヶ嶽と呼ばれ、鎖にすがって百メートルの断崖を登る山頂の行場となっており、稚児大師像が建っています。

★善通寺

来月は七十四番に続いてお大師様の生誕地、七十五番の善通寺。乞ご期待。


第166話(2016年4月)

皆さん、こんにちは。春真っ盛りですね。さて、紙上遍路のかわら版。残すは二十三ヶ寺。頑張って打ち通しましょう。今月も元気に出発です。

★四国高野

六十五番から約二十三キロメートル、四国霊場の中で最も高い標高九一一メートルに立つのが六十六番、巨鼇山(きょごうさん)雲辺寺。
香川県と徳島県の県境の山岳地帯。現在の住所は徳島県ですが、讃岐霊場打ち始めの関所寺です。
雲海に浮かぶ姿に由来したのでしょうか、まさしく雲辺寺。
お大師様十六歳の折、生誕地の善通寺(七十五番)用の木材を探して深山に入り、その風景に心を打たれて堂宇を建設したのが縁起です。
やがて四国坊、四国高野と呼ばれるようになり、阿波、土佐、伊予、讃岐の学僧が集まり、学問道場として隆盛します。
雲辺寺から眼下を望み、四国制覇の野望を語った長宗我部元親を、時の四十八代住職、俊崇坊が諌めた逸話が語り継がれています。

★ふたつの大師堂

六十六番から約十二キロメートル下り、仁王門からお大師様お手植えの楠と榧(かや)の老木を横目に石段を登ると六十七番、小松尾山大興寺に到着です。
天平年間に東大寺の末寺として創建。その後、最澄との縁で天台宗となったものの、火災に遭って灰燼に帰した諸堂を空海が再興。真言宗に改宗。
天台十二坊、真言二十四坊を擁し、台密、東密の両道場として栄え、今でも本堂の両側に最澄、空海のふたつの大師堂が立つ珍しい霊場です。
仁王門の金剛力士像は四国最大級。鎌倉仏師として名高い運慶の作です。
地元では、大興寺というよりも、山号に因んで小松尾寺と呼ばれて親しまれています。

★宇佐八幡

六十七番から約十一キロメートル、観音寺市に入って財田川を渡ると琴弾山の麓。
その中腹、同じ境内に立つ六十八番と六十九番、七宝山(しっぽうさん)神恵院(じんねいん)と七宝山観音寺。神恵院の山号は琴弾山と言われることもあります。
大宝年間、日証上人がこの山で草庵を結んで修行中、近くの浜で、琴を奏でる翁の乗る船に遭遇。
上人はこの翁が宇佐八幡の化身と感得。船を神船として琴と一緒に山上に揚げて祀り、琴弾八幡宮を創建。
その別当寺(神宮寺)として建立した弥勒帰敬寺(みろくききょうじ)が神恵院、観音寺の起源です。
大同年間、この地を訪れたお大師様が八幡宮の本地仏として阿弥陀如来を描いて本尊とし、七宝山神恵院と改名。
鉱物学や地質学に精通していたお大師様、この境内に瑠璃(るり)、珊瑚、瑪瑙(めのう)などの七宝を埋めて地鎮したことが、山号の由来と伝えられています。
明治維新の神仏分離令により、阿弥陀如来像は西金堂(さいこんどう)に移されました。

★一境内二霊場

お大師様は日証上人が引き揚げた船が神功(じんぐう)皇后と縁があり、皇后は観世音の化身と感得。
お大師様は聖観世音菩薩を彫って本尊として、七堂伽藍を建立して観音寺を創建。
室町時代には足利尊氏の子、道尊大政大僧正が四十五年間住職を務め、幕府の庇護を受けて隆盛を誇りました。
一境内二霊場なので、伽藍配置も混然一体。神恵院本堂の前には神恵院と観音寺の大師堂が並んで建っています。

★一夜建立

来月はいよいよ七十番台。あと一息ですね。七十番はお大師様がたった一夜で建立したと伝えられる本山寺。乞ご期待。


第165話(2016年3月)

皆さん、こんにちは。今日はご祥当。いよいよ春本番ですね。さて、紙上遍路のかわら版。残すは二十七ヶ寺。頑張って打ち通しましょう。今月も元気に出発です。

★伊予水軍菩提寺

六十一番から約一・九キロメートル、六十二番は天養山宝寿(ほうじゅ)寺。
天平年間に聖武天皇が諸国に一の宮を造営。伊予一の宮の大山祇(おおやまずみ)神社の別当寺として創建されたのが縁起。
弘法大師がこの寺に長く逗留した折、難産に苦しむ国司夫人に境内の玉の井の水を加持祈祷して与えると、夫人は無事出産。
以来、お大師様が彫ったご本尊、十一面観世音菩薩は安産の観音様として信仰を集めました。
瀬戸内海の大三島(おおみしま)にある大山祇神社は伊予水軍(村上、河野、越智)が信仰。別当寺である宝寿寺は伊予水軍の菩提寺でもありました。

★吉祥天マリア像

六十二番から約一・三キロメートル、六十三番は密教山吉祥(きちじょう)寺。
お大師様がこの地を巡錫した際、光を放ち、霊気に満ちた檜に出会い、この霊木で毘沙門天を彫像。四国霊場の中で毘沙門天がご本尊の札所は吉祥寺だけです。
本堂の手前には高さ一メートルほどの成就石(じょうじゅいし)。石の中央に開いた穴に金剛杖を通すと願いが成就すると言われています。
寺宝として知られる高さ約三十センチ、純白の高麗(こうらい)焼のマリア観音像。
土佐沖で難破したイスパニア船の船長が長宗我部元親に寄贈。元親はマリア像とは知らず、吉祥天のように美しい観音像として伝承。
キリスト教弾圧の難も逃れ、寺宝として今日に伝わっています。

★お山開きの「なんまいだ」

六十三番から約三・三キロメートル、六十四番は石鉄山(いしづちざん)前神寺(まえがみじ)。
先月の六十番、石鎚(鉄)山(いしづちさん)横峰寺(よこみねでら)でも登場した石鎚山。前神寺は石鎚山の麓にあります。
修験道の祖、役行者(えんのぎょうじゃ)は修行中に阿弥陀如来が蔵王権現となって現れたのを感得。
役行者は阿弥陀如来の尊像を彫り、それを祀ったのが開創の縁起。
お大師様も二度入山。参籠して虚空蔵求聞持法などを修法。
桓武天皇は病気平癒を勅願。成就の報恩に前神寺の寺名を下賜しました。
前神寺は山頂の石鎚権現の別当寺。山頂近くには奥前神寺と呼ばれる分寺。麓の本寺は別名、里前神寺。
毎年七月のお山開きには、里前神寺から黒瀬峠を越えて奥前神寺まで、白衣姿の数万人の信者が法螺貝の音とともに「なんまいだ(南無阿弥陀仏)」を称えて登ります。

★子宝杓子

六十四番から約四十六キロメートル、六十五番は伊予最後の霊場、由霊山(ゆれいざん)三角寺(さんかくじ)。
お大師様が三角の護摩壇を築いて護摩を焚き、降伏(ごうぶく)護摩秘法を修法。この護摩壇跡が庫裡と薬師堂の間にある三角(みすみ)池の中の島に現存。寺号はこの護摩壇に由来します。
寺は標高約四百三十メートルの平石山の中腹。寺号に因んで山は別名、三角寺山。桜の名所です。
ご本尊、十一面観世音菩薩は開運厄除け・安産子安の観音様として信仰を集めています。
寺で子宝杓子(しゃもじ)を授かり、夫婦で仲良く食事をすると子宝に恵まれ、子どもを授かった後にその杓子と新しい杓子を奉納してお礼参りする習わしです。

★四国高野

来月からいよいよ讃岐(香川)、涅槃の道場に入ります。六十六番は阿波(徳島)と讃岐の境にある雲辺寺。別名、四国高野。乞ご期待。


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大塚耕平

  • 2002年から「弘法さんかわら版」を書き続けています。仏教に親しみ、仏教から学び、仏教を探訪しています。より良い社会を目指すうえで仏教の教えは大切です。「弘法さんかわら版」は覚王山日泰寺(名古屋市千種区)と弘法山遍照院(知立市)の弘法さんの縁日にお配りしています。縁日はお大師様の月命日に立ちます。覚王山は新暦の21日、知立は旧暦の21日です。
  • 著書に「お大師様の生涯と覚王山」(大法輪閣)、「仏教通史」(大法輪閣)など。全国先達会、東日本先達会、愛知県先達会、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念イベント(室戸市)、中日文化センターなどで講演をさせていただいています。毎年12月23日には覚王山で「弘法さんを語る会」を開催。ご要望があれば、全国どこでも喜んでお伺いします。
  • 1959年愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院博士課程修了(学術博士、専門はマクロ経済学)。日本銀行を経て、2001年から参議院議員。元内閣府副大臣、元厚生労働副大臣。現在、早稲田大学総合研究機構客員教授(2006年~)、藤田保健衛生大学医学部客員教授(2016年~)を兼務しています。元中央大学大学院公共政策研究科客員教授(2005年~17年)。