皆さん、こんにちは。ゴールデンウィークが待ち遠しい季節になりました。でも、朝 晩は冷え込む日もあります。平成最後の月。くれぐれもご自愛ください。日常会話の 中に登場する仏教用語をお伝えしているかわら版。少しでも読者の皆さんのお役に立 てば幸いです。

新年度になり、就職転勤、入学や転校で新たな生活を始めた人も多いと思います。新 しい同僚や新しい友人との出会い、新しい世界の始まりです。

この「世界」も仏教用語です。一昨年十月のかわら版でお伝えしました。

「世界」という言葉は英語の「ワールド」の日本語訳として用いられますので、これ が仏教用語だとはなかなか気づきません。

仏教では「ひとりの人間にはひとつの世界がある」と教えます。一人ひとりに世界が あるというのです。「自我」「自分」というものを中心(国王)として、見渡す限り を自分の世界(領土)と考え、何でも思い通りにしたい、好きにしたいと、「欲」や 「執着」に囚われます。

自分に関係の深いもの、自分が好むものを近くに置き、関係の浅いもの、自分が嫌い なものを遠くに置くという「自我の遠近法」で支配された「世界」です。

誰もが同様に一人ひとりの「世界」があること、その「世界」に囚われていることを 理解していれば、日頃の人間関係も変わってきそうですね。

「自分」の「世界」の「欲」や「執着」に囚われれば、別の「世界」を持つ他人が納 得するはずがありません。「世間(せけん)」は難しいですねぇ。

この「世間」も仏教用語です。「世間体が悪い」「世間に顔向けができない」「世間 の物笑いの種になる」などの使い方がされます。「世の中」「社会」という意味で使 われています。

「世界」の本来の意味から「世間」を考えると、一人ひとりが持っている「世界」と 「世界」の「間」ということです。

「世間体が悪い」とは、自分の価値観や判断基準で判断しているから「世間体が悪 い」のです。他の人の「世界」からの見られ方を自分の「世界」の価値観や判断基準 で勝手の想像しているわけですから、ずいぶん自分の「欲」や「執着」に囚われてい るとも言えますね。

「世間」という仏教用語に「出」をつけて「出世間(しゅっせけん)。これも仏教用 語です。自分の「欲」や「執着」に囚われる「世間」感から解放されて、「世間」を 越えた「世界」、すなわち仏や菩薩の覚った境地のような「世界」を「出世間」と表 現するようです。

一昨年の九月には「出世」という言葉もご紹介しました。世の中や「世間」を超越 し、覚りの境地に至ることが「出世間」「世に出る」「出世」と言います。そういう 人は、道理をわきまえ、「欲」や「執着」に囚われない、感謝と謙虚の気持ちに満ち た人でしょう。そういう人になりたいものです。

かわら版も「世間体」を気にすることなく頑張ります。それでは皆さん、また来月お 会いしましょう。

(2019年4月)