皆さん、こんにちは。冬真っ盛りですが、春が待ち遠しい季節になりました。風邪など召されるよう、くれぐれもご自愛ください。

日常用語の中に含まれている仏教用語をご紹介し始めて四年目。日常用語に含まれている仏教用語はほんとうにたくさんあります。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。不思議ですねぇ。

この「不思議」も仏教用語です。仏教用語的、漢語的には「不可思議」とも言いますが、「可」が省かれて「不思議」。普段の会話の中でもよく使う言葉ですね。

もともとは、思い測ることができず、言語でも表現できないことを指します。仏の教えや智慧は、思い測ったり、言語で表現するのは難しいということから生まれた言葉です。

自分ではマイナスだと思っていることが、仏さまの視点からは決してマイナスではなく、あとで思いもしなかった新たな展開に結びつくこともあります。そういう仏さまの計らい(はからい)は、本当に「不思議」なことです。

身の回りの出来事を、自分の損得、好き嫌いで良い、悪いを判断することなく、全ては仏さまの「不思議」な計らいとして受け止める心、それが仏心(ぶっしん)です。

ところで、数字の桁(けた)を表す単位をどこまで言えるでしょうか。つまり、一、十、百、千、万、までいくと、十万、百万、千万、そして、その次は「億」。その次は「兆」。

ここまではたぶん多くの人が共有していますが、「兆」の次は「京(けい)」。

どうでもいいような話ですが、「京」に続くのは「垓(がい)穣(じょう)溝(こう)澗(かん)正(せい)載(さい)極(ごく)恒河沙(ごうがしゃ)阿僧祇(あそうぎ)那由多(なゆた)」ときて、その次が何と「不可思議(ふかしぎ)」。

つまり、「不思議」は数字の桁の単位でもあり、具体的には十の六十四乗を表します。何とも想像できない無限のような大きな桁ですが、まさに「不思議」「不可思議」、つまり表現できない大きさです。

因みに、数字の桁として使われる場合は「不思議」とは略さず「不可思議」という言葉で使われます。

仏教用語として登場した「不可思議」が数学用語として使われる契機になったのは、十三世紀から十四世紀の元の数学者、朱世傑(しゅせいけつ)が自著「算学啓蒙」の中で用いた時からです。朱世傑は四次元連立方程式の解法なども論じ、数学教育に生涯をかけました。

その内容は、日本にも江戸時代になって伝わりました。十七世紀の数学者、吉田光由が寛永四年(一六二七年)に著した「塵劫記」の中に「不可思議」の単位が登場します。

言語では表せないことから転じて、日常用語的には「怪しいこと」「異様なこと」を表す言葉に転じましたが、それも不思議なことです。

日常用語の中の仏教用語。不思議なことに、本当にたくさんあります。不思議も仏教用語であることも、これまた不思議。

それではまた来月、お楽しみに。

(2020年2月)