耕平さんブログ

第175話(2017年1月) 我慢

皆さん、明けましておめでとうございます。平成二十九年、丁酉(ひのととり)の年が始まりました。今年もかわら版をご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

一昨年、昨年と般若心経の意味を学んできたかわら版。今年は日常会話の中に浸透している仏教用語を知ることで、仏教の教えを深く考えてみたいと思います。

いろいろ不満が出てくるのは、欲のなせる業(わざ)。何かと不安になるのも、欲のなせる業。「あれが欲しい」「これが欲しい」と思う心が「あれがない」「これがない」「あれを失うかもしれない」「これも失うかもしれない」という不満や不安の気持ちを生み出します。

ご心経もそう諭してくれていました。

そうですねぇ。何ごとも我慢、我慢。欲を抑えて、自分の気持ちを律する。そのためには我慢が一番。実はこの「我慢」。それそのものが仏教用語です。

我慢の「我」は「自我」の「我」。我慢の「慢」は「慢心」の「慢」。つまり「自我の慢心」を略して「我慢」なのです。

我慢するというのは、自分の気持ちを律している自分自身の姿、我慢している自分自身が「善」であるというような潜在意識を伴っています。しかし、我慢そのものが「自我の慢心」から生まれているのですから、我慢の原因そのものも自分の欲から生み出されています。

嫌いな人、嫌なことに耐え、我慢している自分は可哀そう。そう考えがちですが、実は「嫌い」とか「嫌」という気持ちそのものが「自我の慢心」から生まれています。

そのことに気づくと「嫌い」「嫌」という気持ちそのものが和らぎ、そもそも我慢する必要がなくなります。何しろ「自我の慢心」がなくなるのですから。

「嫌い」なもの、「嫌」なものを無理矢理変えようとするのは「傲慢」。それを自分の気持ちを抑えて耐えるのが「我慢」。「傲慢」と「我慢」は親戚なのかもしれませんね。

何かにこだわることなく、広く穏やかな心で人や出来事や社会を見つめ、病気や苦労も含めた全ての現実と向き合い、ありのまま受け入れること。そういう心の持ちようになると「傲慢」も「我慢」も縁遠くなります。

「傲慢」は争いを招きます。「我慢」はストレスを溜め、それに耐えられなくなると、病んだり、争いごとに発展します。人間の執着や愚かさを戒め、少しでも平穏で争いごとの少ない社会にする。そのためには、一人ひとりが「傲慢」や「我慢」の本質に気づくことが肝要です。

難しいですねぇ。でも心に留めておきましょう。「自分だけ我慢している」などと考えること自体が「自我の慢心」。言わば「傲慢」というものです。

「かわら版」、今年もよろしくお願い致します。合掌。


第174話(2016年12月)

 皆さん、こんにちは。いよいよ今年もあとわずか。寒い日が増えました。くれぐれもご自愛ください。
昨年から般若心経の意味を学んできたかわら版。ご心経は、生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。
最近は仏教ブームとも言われています。それはそうです。僕のような者までこうして仏教にまつわる「かわら版」を書いているくらいですから。人々が何かを仏教に求めているのかもしれません。
仏教は学んで理解する対象ではありません。人の心に問いかけるもの、生き方を考える道標、自分の生き様を省みる心の声。昨年来ご紹介してきたご心経二百七十文字が説く教えから、何かを自分で感じ取るものであり、定番の解釈や全員に共通の受け止め方が決まっているわけではありません。一人ひとりが、それぞれ何かを感じ入るものでしょう。
五木寛之さんの「仏教のこころ」という本のタイトルに誘われ、何げなく読んでいたら、次のようなくだりが出てきました。
「仏教が趣味、という人がいてもちっともかまわないが、それだけでは惜しい。仏教は真っ暗な夜の道を照らしてくれる光であってほしい。それがあることで、かろうじて生きることを投げださずに、痛みや不安に耐えていける力であってほしい。仏教ブームとは、そういう必死の思いから発生する人びとの運動である。その点から見ると、いまの仏教ブームというのが、いささか色あせて感じられてくるのはいたしかたのないことだろう。」
「仏教が趣味」と公言している私としては、何やら五木さんに改めて念押しされたような気がします。出会うべくして出会った文豪の一文です。
仏教は、何かにこだわることなく、広く穏やかな心で人や事物や社会を見つめ、病気や苦労も含めた全ての現実と向き合い、それを無理矢理変えようとしても変わるものでもないので、それをそのまま受け入れる努力をすること、その大切さを説いています。
同時に、なかなかそれができないのが人間。人間の執着や愚かさを戒め、争いごとの絶えない人々(衆生)を諭しています。
以上のことを、繰り返し、繰り返し、表現の仕方や喩えを変えつつ、説き続けているのが仏教であり、仏教の経典(お経)です。その中でも、ご心経は最も短いお経として親しまれています。
衆生(人々)が救われ、世の中(社会)の争いごとを少なくするためには、一人ひとりの心の持ちよう、生き方、人間哲学が大切です。
「かわら版」、今年もお世話になりました。来年もご愛顧のほど、よろしくお願い致します。それでは、良い年をお迎えください。合掌。


第173話(2016年11月)

皆さん、こんにちは。もうすぐ師走、寒い日が増えてきました。朝晩は冷え込みます。くれぐれもご自愛ください。
昨年から般若心経の意味を学んできたかわら版。ご心経は、生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。
先月までにご心経二百七十文字全てについて学びました。お疲れ様でした。いろいろな解釈があるようですので、ご興味がある方は、高僧のお話をよく聞いたり、信頼できる仏教学者の著書などを読むことをお薦めします。
宗派によって解釈も異なるようです。真言宗、禅宗、天台宗、法相宗などではご心経を使う一方、浄土真宗、日蓮宗、法華宗などではご心経を読まないとも聞きました(間違っていたらゴメンナサイ)。
浄土真宗では「浄土三部経」、日蓮宗、法華宗では「法華経」を根本経典として使うそうです。
どんなお経であろうとも、ルーツは同じお釈迦さま。教えの根っこは同じであるはずですし、同じでなければ困ります。
しかし、今や、それをお釈迦さまから直接伺うわけにもいきません。さまざまなお経の解釈や修行を通して、それを感じ、体得し、悟ることが必要ですね。
ご心経は何を説いていたのでしょうか。振り返ってみると、私の受け止め方としては、三つのことに集約されると思います。
ひとつは「無」。何かに固執することを戒めています。もうひとつは「空」。空っぽではなく、無限を表す言葉です。三つめは「六波羅蜜行」または「菩薩行」。「無」や「空」の境地に達するために行動することの大切さを諭しています。
何かにこだわることなく、広く穏やかな心で人や事物や社会と向き合い、相手のことを理解しようと努力をすること、その大切さを説いています。
同時に、なかなかそれができない人間の本質的な執着、人間社会の愚かさを戒め、争いごとの絶えない人々(衆生)を諭しています。そのことは、どんなお経でも同じような気がします。
以上のことを、繰り返し繰り返し唱えているのがご心経です。他のお経も、表現や諭し方は異なっても、その根っこは同じであると思います。また、そうでなければ困ります。
多くの人々に親しまれるご心経。衆生(人々)が救われ、世の中(社会)の争いごとを少なくするためには、一人ひとりの心の持ちよう、生き方、人間哲学が大切です。それを説くのがご心経です。
それでは来月までごきげんよう。合掌。


第172話(2016年10月)

皆さん、こんにちは。秋も深くなりました。朝晩は冷え込みます。くれぐれもご自愛ください。
昨年から般若心経の意味を学んでいるかわら版。生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。
先月までに二百六十六文字について学びました。いよいよ最後の四文字です。
最初に「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」で始まったご心経は、最後に「般若心経」の四文字で終わります。
最初の十二文字の中にも「般若」と「心経」が含まれており、「般若」は広く深い知恵、「心経」は仏様の教えの一番大事な部分をまとめたお経、という意味でした。
言わば、最初に唱えたお経のタイトルを凝縮して、もう一度最後に唱えている格好です。
インドで誕生した仏教。インドから伝わった仏経典はサンスクリット語で書かれていました。それを西域(シルクロード)や中国の僧が持ち帰って漢訳。
般若心経は玄奘(三蔵法師)が持ち帰った「大般若経」の真髄。大般若経は十六部、六百巻。漢字の文字数にして約四百八十万字。
般若心経はそれを二百七十文字に凝縮しています。「般若心経」をそのまま訳せば「お釈迦様の広く深い知恵、仏様の教えの一番大事な部分です」と最後に述べていることになります。
タイトルを最後に繰り返されているのは、インドのお経のつくりと関係しています。
インドでは経典のタイトルは最後に記すのが一般的だったそうです。つまり、中国や日本ではタイトルはお経の冒頭、インドでは掉尾(ちょうび)。
玄奘はこの違いを知っていたため、最後にタイトルを繰り返したと言われています。本来であれば「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」と全てを繰り返してもよかったわけですが、そのまた真髄部分を繰り返して、ご心経を締めくくったということです。ちょっと工夫したという感じでしょうか。
ご心経は何を説いていたのでしょうか。振り返ってみると、私の受け止め方としては、三つのことに集約されると思います。
ひとつは「無」。何かに固執することを戒めています。もうひとつは「空」。空っぽではなく、無限を表す言葉です。三つめは「六波羅蜜行」または「菩薩行」。「無」や「空」の境地に達するために行動することの大切さを諭しています。
以上のことを、繰り返し繰り返し唱えているのがご心経です。
多くの人に親しまれるご心経。大衆(人々)が救われ、世の中(社会)の争いごとを少なくするためには、一人ひとりの心の持ちよう、生き方、人間哲学が大切です。それを説くのがご心経です。
皆さん、お疲れ様でした。それでは来月までごきげんよう。合掌。


第171話(2016年9月)

皆さん、こんにちは。いよいよ秋本番。朝晩は冷え込む日も出てきます。ご自愛ください。
昨年から般若心経の意味を学んでいるかわら版。生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。
先月までに二百五十六文字について学びました。あと十四文字。今月はクライマックス十八文字の後半十文字です。先月号も参考にしてください。
インドから伝わった仏経典はサンスクリット語で書かれていました。それを西域(シルクロード)や中国の僧が漢訳。クライマックスの十八文字はサンスクリット語の原典をそのままの音で漢字を当てているだけです。
「羯諦羯諦(ぎゃーてーぎゃーてー)波羅羯諦(はーらーぎゃーてー)波羅僧羯諦(はらそうぎゃーてー)菩提薩婆訶(ぼーじーそわかー)」の前半八文字は「行こう、行こう、悟りの境地へ行こう」でしたね。
では「波羅僧羯諦」はどう意味でしょうか。「悟りの境地へ行こう」の「波羅羯諦」の真ん中に「僧」という字が入っています。
漢訳の「僧伽(そうぎゃ)」はサンスクリット語の音で「サンガ」。「仲間」とか「みんな」という意味。ここのくだりの「僧」は「僧伽」の「伽」を略しているので「波羅僧羯諦」は「みんなで悟りの境地へ行こう」という意味になります。
「菩提」は「仏様の住む世界」。「菩提寺」の「菩提」と一緒です。ご先祖様(仏様)をお祀りしているので菩提寺。
次の「薩婆訶」は「成就する」とか、成就したことに感謝する「ありがとう」という含意もあるようです。
「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」は「行こう、行こう、悟りの境地へ行こう、みんなで行こう、悟りの境地へ行き着こう、ありがとう」という感じでしょうか。
数年前、ご心経の英訳に接する機会があり、「眼からウロコ」というか、この部分の雰囲気がよくわかりました。
英訳では「ゴー・ゴー・レッツゴー・ツゥ・パラダイス、サンキュー」。「羯諦(ぎゃーてー)」は英語の「ゴー」、「波羅蜜多(ハラミッター)」は「パラダイス」に転化したという言語学の解説がよく理解できました。
大衆(人々)が救われ、世の中(社会)の争いごとを少なくするためには、一人ひとりの心の持ちよう、生き方、人間哲学が大切です。それを説くのがご心経です。
多くの人に親しまれるご心経。ここまでで二六十六文字について学びました。いよいよあと四文字。来月で完結です。
それでは皆さん、来月までごきげんよう。合掌。


第170話(2016年8月)

皆さん、こんにちは。立秋も過ぎましたが、まだまだ暑い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。
昨年から般若心経の意味を学んでいるかわら版。生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。
先月までに二百四十八文字について学びました。あと二十二文字。今月と来月はいよいよクライマックス。ご心経の真髄が凝縮されている部分です。
最も難解な「羯諦羯諦(ぎゃーてーぎゃーてー)波羅羯諦(はーらーぎゃーてー)波羅僧羯諦(はらそうぎゃーてー)菩提薩婆訶(ぼーじーそわかー)」の十八文字。今月は前半の八文字です。
インドから伝わった仏経典はサンスクリット語で書かれていました。それを西域(シルクロード)や中国の僧が漢訳。
しかし、この十八文字は音写されています。サンスクリット語の原典をそのままの音で漢字を当てているだけです。
サンスクリット語の発音をカタカナ表記すれば「ガテーガテーパーラガテーパーラサンガテーヴォーディスヴァーハー」となるそうです。
さっぱりわかりません(笑)。世界の言語は微妙な接点があります。「ガテー」は英語の「ゴー」に転化したと言われており、つまり「行く」という意味です。ということで「羯諦羯諦」は「行こう、行こう」と呼びかけているのです。
次の「波羅」は「波羅蜜多」の前半二文字。「波羅蜜多」はここまでに六回登場しています。覚えていますか。
こちらの岸(此岸、しがん)からあちらの岸(彼岸、ひがん)に渡ること。つまり、彼岸に渡って悟りの境地に達することです。
「波羅」は後半二文字を省略して「悟りの境地」を意味していますので、「波羅羯諦」は「悟りの境地を行こう」となります。
「羯諦羯諦波羅羯諦」は「行こう、行こう、悟りの境地へ行こう」。そりゃあ、悟りの境地に至れば嬉しいですよね。でも簡単ではありません。
大衆(人々)が救われ、世の中(社会)の争いごとを少なくするためには、一人ひとりの心の持ちよう、生き方、人間哲学が大切です。それを説くのがご心経です。
多くの人に親しまれるご心経。ここまでで二百五十六文字について学びました。あと十四文字。来月はクライマックスの後半十文字。乞ご期待。
それでは皆さん、来月までごきげんよう。合掌。


第169話(2016年7月)

 皆さん、こんにちは。いよいよ夏本番。暑さに負けず、頑張りましょう。くれぐれもご自愛ください。
昨年から般若心経の意味を学んでいるかわら版。生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。
先月までに二百四十四文字について学びました。あと二十六文字。いよいよ佳境に向かいます。今月は「即説呪曰(そくせつしゅーわつ)」の四文字です。
孫悟空に登場する三蔵法師。インドから多くのお経を持ち帰った玄奘(げんじょう)という実在の高僧がモデルになっています。
持ち帰ったお経の中でもとくに重要なものが「大般若波羅蜜多経」。全部で六百巻、二百六十五章、千二百九十七の項から構成される大経典。文字数は六十億四十万字と言われています。もちろん、数えたわけではありません(笑)。
その大経典の内容を凝縮し、教えの真髄を二百七十二文字(題目の十文字を除くと二百六十二文字)の「真言」または「呪文」に要約したのが「般若心経」です。
その佳境、クライマックスですから、何と言いましょうか、凝縮のうえに凝縮した濃厚な原液を固めた丸薬のようなくだりです。何だか、テレビショッピングで宣伝している栄養素を凝縮した健康食品、健康薬のようですね(笑)。
「即」は文字通り「すなわち」、「説」は「述べる」、「呪」はこれまでに何回も登場しましたが、呪文の「呪」。神仏の不思議な言葉、真実の言葉を意味します。「真言(しんごん)」も「呪」と同じです。
「曰」も読んで字の如く「いわく(曰く)」。つまり、「即説呪曰」は、ここまでの二百四十四文字のいよいよ結論に入る前に、「すなわちこの呪文は次のことを述べているのです」と前置きしているのです。
そして、そのあとに来るのがクライマックスの十八文字(羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶)と締めの四文字(般若心経)。来月以降のお楽しみです。
大衆(人々)が救われ、世の中(社会)の争いごとを少なくするためには、一人ひとりの心の持ちよう、生き方、人間哲学が大切です。それを説くのがご心経です。
多くの人に親しまれるご心経。ここまでで二百四十八文字について学びました。あと二十二文字。来月はご心経のクライマックス。流れるようなリズムで音読する十三文字についてです。
それでは皆さん、来月までごきげんよう。合掌。


第168話(2016年6月)

皆さん、こんにちは。いよいよ梅雨ですねぇ。神経痛などが出やすい季節です。くれぐれもご自愛ください。
昨年から般若心経の意味を学んでいるかわら版。生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。
今月は「故説般若波羅蜜多呪(こーせつはんにゃーはーらーみーたーしゅー)」の九文字。この九文字は、これまでの復習のようなくだりですね。
「故」は読んで字の如く「ゆえに」という意味です。「したがって」とか「だから」ということですね。
「説」も読んで字の如く「説(と)く」です。
「故説」で「だから説きます」となりますが、何を「説く」のでしょうか。そうです、もちろんその後に続く「般若波羅蜜多呪」を「説く」のです。
「般若波羅蜜多」は六回目の登場です。五回目のくだりでも申し上げたように、もうすっかり理解した、身についたと思いたいところですが、ご心経は奥深いので、何度も復習が必要です。
「般若」は広く深い知恵のこと。「波羅蜜多」はこちらの岸(此岸、しがん)からあちらの岸(彼岸、ひがん)に渡ること。つまり「般若波羅蜜多」は広く深い知恵で彼岸に渡って悟りの境地に達すること。
「呪」もちょっと前の箇所で登場しました。「呪」は呪文の「呪」。神仏の不思議な言葉、真実の言葉を意味します。「真言(しんごん)」も「呪」と同じです。お寺の名前によく聞く「総持(そうじ)」「持明(じみょう)」なども「呪」「真言」と同じ意味(神仏の不思議な言葉)を意味することもお伝えしましたね。
ということで、「故説般若波羅蜜多呪」は「だから、広く深い知恵で彼岸に渡って悟りの境地に達する真実の言葉を説きます」となります。
「だから」というのは、ここまでの二百三十五文字で述べてきたことの全体を受けています。ご心経(つまり「般若波羅蜜多」の「呪」)は本当に素晴らしい仏様の教えなので、それを説きます。と改めて決意のほどを述べているのがこのくだりです。
大衆(人々)が救われ、世の中(社会)の争いごとを少なくするためには、一人ひとりの心の持ちよう、生き方、人間哲学が大切です。それを説くのがご心経です。
多くの人に親しまれるご心経。ここまでで二百四十四文字について学びました。あと二十六文字。いよいよ佳境、クライマックスです。頑張りましょう。
それでは皆さん、来月までごきげんよう。合掌。


第167話(2016年5月)

皆さん、こんにちは。早くも初夏。日々、朝晩の寒暖差の大きい季節です。ご自愛ください。
昨年から般若心経の意味を学んでいるかわら版。生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。
今月は「能除一切苦(のうじょーいっさいくー)真実不虚(しんじつぶっこー)」の九文字。
この九文字は、漢字の意味を考えると分かりやすい部分です。
「能」は「効く」とか「しっかり」「よく」というような意味です。薬の「効能」の「能」を連想してください。
「除」は読んで字の如く「除く」です。何を「除く」のか。そうです、「一切苦」つまり「全ての苦しみ」をです。
なるほど「能除一切苦」は「全ての苦しみをよく取り除く」ということですが、それはありがたい。でも、それって本当ですかとつい問い返したくなる私たち衆生(しゅじょう、大衆)の気持ちを先取りして「真実不虚」。
「真実」はそのまま、「本当ですよ、真実ですよ」と言っています。
「不虚」もそのまま、「虚(うそ)では不(ない)」と言っています。
すなわち「能除一切苦真実不虚」は「全ての苦しみを取り除いてくれますよ、本当ですよ、虚ではありませんよ」と私たちに語りかけています。
「何が」でしょうか。その主語は「ご心経(般若心経)」です。ご心経を信じて唱えれば、「全ての苦しみを取り除いてくれますよ、本当ですよ、虚ではありませんよ」ということを諭しています。
では、ご心経は何を説いているのでしょうか。ご心経は仏様の教えの真髄。仏教は何を説いているのでしょうか。
それは、ここまでの二百二十六文字が様々に説いています。例えば「色不異空空不異色色即是空空即是色」のくだりも真髄ですね。他の部分も様々に真髄を説いています。
ご心経には登場しませんが、仏教にご関心の高い皆さんがよくご存じの「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」「一切皆苦」の四大原則(四法印)も真髄ですね。
大衆(人々)が救われ、世の中(社会)の争いごとを少なくするためには、一人ひとりの心の持ちよう、生き方、人間哲学が大切です。それを説くのがご心経です。
多くの人に親しまれるご心経。ここまでで二百三十五文字について学びました。あと三十五文字ですね。頑張りましょう。
それでは皆さん、来月までごきげんよう。合掌。


第166話(2016年4月)

皆さん、こんにちは。春真っ盛りですが、朝晩は冷え込む日もまだあります。ご自愛ください。
昨年から般若心経の意味を学んでいるかわら版。生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。
今月は「是大明呪(ぜーだいみょうしゅ)是無上呪(ぜーむーじょうしゅ)是無等等呪(ぜーむーとうどうしゅー)」の十三文字。
先月はこの十三文字の直前にある「是大神呪(ぜーだいじんしゅ)」を学びました。
「是大神呪」は「是(これ)」は偉「大」な「神」仏の「呪」「真言」です、ということでしたね。
「明」は「覚り」とか「心の平穏」を意味するそうです。「無上」は「この上なき(最高の)」、「無等等」は「比較するものがない」という意味です。
ここまでわかれば理解できます。
「是大明呪」は「是(これ)」は偉「大」な「覚り」の「呪」「真言」。
「是無上呪」は「是(これ)」は「この上なき最高」の「呪」「真言」。
「是無等等呪」は「是(これ)」は「他に比較するものがない」ほどの「呪」「真言」。
そうです。「是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪」の十七文字は、ご心経に対する畏敬の念を込めた賛辞と言えます。
人間も自然の一部に過ぎないことを体得することを「縁覚(えんがく)」、説法を聞いて覚りを開くことを「声聞(しょうもん)」と言います。
縁覚や声聞によって得られる覚りの真髄こそが「呪」「真言」。
仏の心も、自分の心も、他人(大衆)の心も同じ心。「三心平等」だからこそ、大衆の苦悩は自分の苦悩。苦しむ大衆を救いたい。それがお釈迦様の「ご誓願(せいがん)」です。
そんなお釈迦様のお気持ちを伝える「呪」「真言」なので、「無等等」つまり「他に比較するものがない」ほどの「呪」「真言」。それがご心経です。
そして、大衆が救われるためには、一人ひとりの心の持ちよう、生き方、人間哲学が大切です。それを説くのがご心経です。
多くの人に親しまれるご心経。ここまでで二百二十六文字について学びました。あと四十四文字ですね。頑張りましょう。
それでは皆さん、来月までごきげんよう。合掌。


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大塚耕平

  • 2002年から「弘法さんかわら版」を書き続けています。仏教に親しみ、仏教から学び、仏教を探訪しています。より良い社会を目指すうえで仏教の教えは大切です。「弘法さんかわら版」は覚王山日泰寺(名古屋市千種区)と弘法山遍照院(知立市)の弘法さんの縁日にお配りしています。縁日はお大師様の月命日に立ちます。覚王山は新暦の21日、知立は旧暦の21日です。
  • 著書に「お大師様の生涯と覚王山」(大法輪閣)、「仏教通史」(大法輪閣)など。全国先達会、東日本先達会、愛知県先達会、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念イベント(室戸市)、中日文化センターなどで講演をさせていただいています。毎年12月23日には覚王山で「弘法さんを語る会」を開催。ご要望があれば、全国どこでも喜んでお伺いします。
  • 1959年愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院博士課程修了(学術博士、専門はマクロ経済学)。日本銀行を経て、2001年から参議院議員。元内閣府副大臣、元厚生労働副大臣。現在、早稲田大学総合研究機構客員教授(2006年~)、藤田保健衛生大学医学部客員教授(2016年~)を兼務しています。元中央大学大学院公共政策研究科客員教授(2005年~17年)。